統計学のなかの魔女:コーシー分布
1799 年に亡くなったアニェージは、自分の曲線が幾何学から遠く離れたところで第二の人生を送るとは思いもしなかっただろう。十九世紀、この曲線は確率論のなかに、統計学でもっとも油断のならない例のひとつとして再び現れた。
確率密度
曲線の下の面積で見たように、$y = \frac{1}{1 + x^2}$ の下の面積全体は $\pi$ である。$\pi$ で割ると面積は 1 になり、曲線は確率密度になる。
$$f(x) = \frac{1}{\pi(1 + x^2)}.$$これがコーシー分布である。一回の抽出が $c$ と $d$ のあいだに入る確率は、その区間での曲線の下の面積 $\frac{1}{\pi}(\arctan d - \arctan c)$ に等しい。描いてみると正規曲線によく似ている。ゼロを中心とする左右対称の釣鐘である。違いはすそにある。正規分布は $e^{-x^2/2}$ のように減り、その速さのせいで巨大な値はほとんど出てこない。アニェージの曲線は $\frac{1}{x^2}$ のようにしか減らない。
存在しない平均
この違いが驚くべき結果を生む。分布の平均は $x\,f(x)$ の積分である。コーシー分布では、正の側の積分は
$$\int_0^{X} \frac{x}{\pi(1 + x^2)}\,dx = \frac{1}{2\pi}\ln(1 + X^2)$$で、$X$ が大きくなると限りなく大きくなる。負の側も反対向きに同じことになり、計算は「無限大ひく無限大」になる。この分布には平均がないのである。分散もない。
実際には、何回抽出してもその平均が落ち着かないということだ。平均と分散が有限であることを必要とする大数の法則も中心極限定理も、ここではまったく使えない。さらに悪いことに、$n$ 回のコーシー抽出の平均は、一回の抽出とまったく同じ分布をもつことが証明できる。データを集めても何の助けにもならないのである。
一方、中央値はとてもよく機能する。面積の半分はゼロの左に、半分は右にあり、多くの抽出の中央値はゼロに近づく。だから統計学者はアニェージの曲線を警告として使う。平均を計算する前に、データのすそが軽いか重いかを知っておくべきだ、というわけである。
ポアソン、コーシー、そして物理学
この問題に最初に気づいたのはシメオン=ドニ・ポアソンで、1824 年にこの分布をラプラスの誤差論への反例として使った。名前は、1853 年にイレネ=ジュール・ビエネメと最小二乗法をめぐって論争したときにこれを論じた、オーギュスタン=ルイ・コーシーに由来する。
物理学では、同じ曲線がヘンドリック・ローレンツにちなんだローレンツ型という別の名前で現れる。原子や分子のスペクトル線の形、共鳴の近くでの振動子の応答、そして素粒子物理学では不安定な粒子を示すピークの形(ブライト=ウィグナーの公式)を表す。何かが振動しながら少しずつエネルギーを失うところでは、アニェージの魔女が顔を出しやすいのである。
練習:四分位点
コーシー分布からの一回の抽出が $-1$ と $1$ のあいだに入る確率はいくらか。
$\frac{1}{\pi}(\arctan 1 - \arctan(-1)) = \frac{1}{\pi}\cdot\frac{\pi}{2} = \frac{1}{2}$。抽出の半分が $-1$ と $1$ のあいだに入る。これが分布の四分位点である。標準正規分布では、半分が $-0.674$ と $0.674$ のあいだに入る。コーシー分布は中央でもいくらか「広がって」おり、すそではずっと広がっている。
練習:灯台
灯台の問題で、パルスと浜辺への垂線とのなす角 $\theta$ は $-\frac{\pi}{2}$ から $\frac{\pi}{2}$ のあいだで一様に選ばれ、パルスは浜辺の点 $x = \tan\theta$ に届く。$x$ の密度が $\frac{1}{\pi(1 + x^2)}$ であることを示せ。
パルスが $x$ より左に届く確率は、$\theta$ が $\arctan x$ より小さい確率で、$F(x) = \frac{\arctan x + \frac{\pi}{2}}{\pi} = \frac{1}{2} + \frac{\arctan x}{\pi}$ である。密度はその導関数で、$F'(x) = \frac{1}{\pi}\cdot\frac{1}{1 + x^2}$。アニェージの曲線を $\pi$ で割ったものである。
出典: Siméon-Denis Poisson、「Sur la probabilité des résultats moyens des observations」、Connaissance des temps(1824) · Augustin-Louis Cauchy、「Sur les résultats moyens d’observations de même nature」、Comptes rendus de l’Académie des sciences 37(1853) · Stephen M. Stigler、「Cauchy and the Witch of Agnesi」、Biometrika 61(1974)。