ほとんどの生徒は、「サイン」「コサイン」「斜辺」といった言葉の意味を知らないまま使えるようになります。知らない町の通りの名前のように、覚えるためのラベルです。けれども、どの言葉もかつては何かを説明していて、なかには思いがけない物語を隠しているものもあります。たとえばサインは、うまくいかなかった翻訳の産物なのです。

ラテン語のピタゴラス

幾何学でいちばん有名な定理は、長いあいだ、三角形の辺の上にかかれた本物の正方形についての文でした。このサイトの以前の記事は、それを中世風にこう書いていました。

$$\textit{quadratum lateris } a \textit{ et quadratum lateris } b \textit{ aequalis quadratum lateris } c,$$

「辺 $a$ の正方形と辺 $b$ の正方形は、辺 $c$ の正方形に等しい」。辺が $3$、$4$、$5$ なら、正方形の面積は $9$、$16$、$25$ で、たしかに $9+16=25$ です。$6$、$8$、$10$ なら $36+64=100$。今日では

$$a^2+b^2=c^2$$

と書きます。指数 $^2$ は、その呼び名「2 乗」(英語では squared、正方形にする)に、自分が出てきた図をまだ宿しています。この定理はギリシアだけのものではありません。紀元前 1800 年ごろのバビロニアの粘土板「プリンプトン 322」は、この関係をみたす数の組を並べていますし、中国の『周髀算経』は「勾股」と呼ばれる図で $3$、$4$、$5$ の場合を示しています。勾と股は、中国語での短い二辺の名前です。

カテトスとヒュポテヌーサ

ヨーロッパの言語では、直角三角形の辺の名前はギリシア語から来ていて、位置を説明するものでした。直角をはさむ辺を表す cathetus は káthetos「垂れ下がるもの」から来ていて、大工のおもりの糸(下げ振り)を指す言葉でもあります。もう一方の辺に対して垂直に落ちる辺なのです。斜辺 hypotenuse は hypoteínousa「下にはりわたされたもの」から来ていて、直角の下を端から端まで、弓の弦のようにのびる辺です。

これらの名前は言葉によるイコンで、それぞれの辺がどこにあるかを言っていました。ラベルになったとき、絵は失われました。ギリシア語がわかる人には「斜辺はいちばん長い辺」はほとんど当たり前ですが、言葉を覚えただけの人には、また一つの規則にすぎません。日本語の「斜辺」も、ななめの辺という絵を残しています。

正三角形と特別な角

学校で覚えさせられるサインやコサインの値、$\frac12$、$\frac{\sqrt3}{2}$、$\frac{\sqrt2}{2}$ などは、二つの図から出てきます。一辺 $a$ の正三角形を高さ $h$ で半分に切ると、角が $30^\circ$、$60^\circ$、$90^\circ$ で、斜辺が $a$、一つの辺が $\frac a2$ の直角三角形が二つできます。ピタゴラスの定理から

$$h^2+\left(\frac a2\right)^2=a^2\quad\Longrightarrow\quad h^2=\frac{3a^2}{4}\quad\Longrightarrow\quad h=\frac{a}{2}\sqrt3.$$

斜辺を $1$ とすると、$30^\circ$ の向かいの辺は $\frac12$、$60^\circ$ の向かいの辺は $\frac{\sqrt3}2$ です。正方形を対角線で切れば $45^\circ$ が現れ、二辺はどちらも $\frac{\sqrt2}2$ です。覚えさせられる表は、二つの図を読んだものにすぎないのです。

サイン、一つの読みまちがい

三角法でいちばん奇妙な言葉には、いちばんおもしろい歴史があります。500 年ごろ、インドの天文学者アーリヤバタは、弧に対する弦全体のかわりに半分の弦を使い、それを ardha-jya、のちには単に jya と呼びました。サンスクリット語で狩りの弓の弦のことです。アラブの天文学者たちはこの概念を取り入れ、言葉を jiba と音訳しましたが、これはアラビア語では何の意味もありませんでした。書かれたアラビア語はふつう母音を省くので、言葉は jb とだけ残りました。

12 世紀、クレモナのジェラルドのようなラテン語の翻訳者たちは、jb を jaib と読みました。これは本物のアラビア語で、ひだ、ポケット、胸元の衣のひだを意味します。そこで彼らは、それにあたるラテン語 sinus(ひだ、ふところ、入り江)で訳したのです。それ以来、弧の半分の弦は sine(サイン)と呼ばれています。だれも書かなかった一つの母音のせいで。日本語の「正弦」という訳語は、もとの「弦」の意味のほうを伝えています。

度、分、秒

バビロニア人は 60 進法で数え、ギリシアの天文学者たちはその書き方を角度に受けつぎました。一回りを $360$ 度、一度を $60$ に、その一つをさらに $60$ に分けるのです。プトレマイオスは、最初のものを「第一の小部分」、次のものを「第二の小部分」と呼びました。ラテン語の翻訳者たちは partes minutae primae、partes minutae secundae と書き、前者は minute(分)、後者は second(秒)に縮まりました。時計を見るとき、私たちは知らずに、ギリシア語からラテン語に訳されたバビロニアの記法を読んでいるのです。

$$1^\circ=60'\qquad 1'=60''\qquad\text{したがって}\qquad 1^\circ=3600''.$$

記号 $'$ と $''$ はこの数え方を残しています。一つ目の分割には一本、二つ目には二本の印です。

練習問題:正三角形で見る sin 60°

一辺 $2$ の正三角形を考えます。高さは底辺を $1$ ずつに分け、$h^2+1^2=2^2$ なので $h=\sqrt3$。できた直角三角形では、斜辺が $2$、$60^\circ$ の向かいの辺が $\sqrt3$、$30^\circ$ の向かいの辺が $1$ です。したがって $\sin60^\circ=\frac{\sqrt3}2$、$\sin30^\circ=\frac12$。$\sin^2 60^\circ+\sin^2 30^\circ=\frac34+\frac14=1$ であることに注目しましょう。またピタゴラスです。

練習問題:60 進法の角度

$12.35^\circ$ を度・分・秒で書きます。整数部分は $12^\circ$。残りは $0.35^\circ=0.35\cdot60'=21'$ でちょうど割りきれます。したがって $12.35^\circ=12^\circ21'$。では $0.1^\circ$ は? $6'$、つまり $360''$ です。60 進法の書き方が生き残っているのは、$60$ に $2$、$3$、$4$、$5$、$6$、$10$、$12$、$15$、$20$、$30$ とたくさんの約数があるからです。

出典: Plimpton 322, MacTutor · Eli Maor, Trigonometric Delights(1998)· Florian Cajori, A History of Mathematical Notations。


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