変位電流:欠けていた項
マクスウェルの四本の方程式のうち三本は、なんらかの形で彼以前から知られていました。ガウスの法則、磁場の法則、ファラデーの法則です。四本目のアンペールの法則も知られていましたが、それは 不完全 でした。マクスウェルがそれに加えたのは、ただひとつの項 $\mu_0\varepsilon_0\frac{\partial\mathbf E}{\partial t}$ です。たいしたことのないように見えます。けれども電気と磁気を光に変えたのは、この項だったのです。
アンペールの法則
1826 年、フランスのアンドレ=マリ・アンペールは、電流とそのまわりの磁場を結ぶ規則を見つけました。今日のことばで言うと、導線のまわりの閉じた道を一周して、道に沿った磁場の成分を足しあわせると、その結果は、その道をふちとする どんな 面を通る電流 $I$ にも比例する、というものです。
$$\oint\mathbf B\cdot d\boldsymbol\ell=\mu_0 I.$$「どんな」という言葉が大切です。虫とり網のわくを考えてください。網は短くても長くてもかまいませんが、わくを通る導線は網も通ります。網を通る電流は網の形によりません。
規則を破るコンデンサー
さて、回路に コンデンサー を入れます。空気か真空をはさんだ二枚の平行な金属板です。コンデンサーが充電されるあいだ、電流 $I$ が導線を通って一方の板に流れこみ、もう一方の板からは別の電流が出ていきます。けれども板のあいだには電流は流れません。導線はなく、すきまがあるだけです。
コンデンサーの手前で、導線のまわりに円い道をとります。網が 平ら で導線を切るなら、それを通る電流は $I$ です。網が 長く、導線にふれずに板のあいだを通る袋のようなら、それを通る電流は ゼロ です。同じ道、同じ磁場の積分なのに、答えが二つある。この場合、アンペールの法則は正しくありえません。
板のあいだで変わるもの
板のあいだを電荷は通りませんが、変わるものがあります。電場 です。板に電荷 $Q$ がたまるにつれ、面積 $A$ の板のあいだの電場は大きくなります。
$$E=\frac{Q}{\varepsilon_0A}.$$板の面積を通る電場の流束は $\Phi_E=EA=\frac Q{\varepsilon_0}$ で、その変わる速さは
$$\varepsilon_0\frac{d\Phi_E}{dt}=\frac{dQ}{dt}=I$$です。導線を流れてくる電流とちょうど同じです!マクスウェルは、変化する電場は電流のようにはたらくと考えました。彼はそれを 変位電流 $I_d=\varepsilon_0\frac{d\Phi_E}{dt}$ と呼び、アンペールの法則に加えました。
$$\boxed{\oint\mathbf B\cdot d\boldsymbol\ell=\mu_0\left(I+\varepsilon_0\frac{d\Phi_E}{dt}\right).}$$これで二つの網の答えが一致します。平らな網を通るのは導線の電流 $I$ だけです。長い網を通る電流はありませんが、板のあいだで変化する電場があって、それが同じ量を寄与するのです。
なぜ「変位」なのか
この名前は 1861 年の力学模型から来ています。マクスウェルは、真空にもエーテルという媒質があって、場が変わるとそのなかの電気をおびた粒子が、のばされたばねのように少し 変位 すると考えていました。その小さな変位が、ほんとうの電流だというのです。エーテルは存在しないことを、マイケルソンとモーリー、そして アインシュタイン が示すことになりますが、この項は模型より長く生きのびました。力学的な説明がまちがっていても、自然は方程式にしたがっているのです。
電荷は保存される
この項がなければならない理由はほかにもあります。微分形では、修正前のアンペールの法則は $\nabla\times\mathbf B=\mu_0\mathbf J$ です。ところが回転の発散はいつも 0 なので、これは $\nabla\cdot\mathbf J=0$ を強います。電流はどこにもたまることができず、どんなコンデンサーも充電できなくなってしまうのです。マクスウェルの項を入れると、
$$0=\nabla\cdot(\nabla\times\mathbf B)=\mu_0\nabla\cdot\mathbf J+\mu_0\varepsilon_0\frac{\partial}{\partial t}(\nabla\cdot\mathbf E).$$ガウスの法則 $\nabla\cdot\mathbf E=\frac\rho{\varepsilon_0}$ より、残るのは
$$\frac{\partial\rho}{\partial t}+\nabla\cdot\mathbf J=0.$$これが 電荷の保存 です。ある領域の電荷は、そこに電流が流れこむときにだけ増えます。マクスウェルの修正は、方程式がこの原理を守るのにちょうど必要なものだったのです。
練習問題:コンデンサーに 2 ミリ秒で 6 マイクロクーロンがたまる。板のあいだの平均の変位電流はいくらか?
導線の平均電流は $\frac{\Delta Q}{\Delta t}=\frac{6\times10^{-6}}{2\times10^{-3}}=3\times10^{-3}$ A、つまり 3 mA です。板のあいだの平均の変位電流も同じ 3 mA ですが、そのあいだを横切る電子はひとつもありません。
練習問題:マクスウェル以前に変位電流にだれも気づかなかったのはなぜか?
場がとても速く変わるとき以外は、ごく小さいからです。この項には $\varepsilon_0\approx8.85\times10^{-12}$ がかかっています。10 cm × 10 cm の板のコンデンサーで、電場が毎秒 1 000 V/m ずつ大きくなるとき、$I_d=8.85\times10^{-12}\cdot1\,000\cdot0.01\approx9\times10^{-11}$ A で、10 分の 1 ナノアンペアにもなりません。1887 年のヘルツの実験のように、一秒に何百万回も振動させてはじめて、効果がはっきり現れます。
出典: James Clerk Maxwell、“On physical lines of force”、Philosophical Magazine 21、23(1861–1862)· 『ファインマン物理学』第 II 巻第 18 章 · Basil Mahon、The Man Who Changed Everything(Wiley、2003)第 7 章。
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