ブラウン運動:原子を数える
ここで論じた運動が実際に観察できるなら、古典熱力学は顕微鏡で見分けられる空間についてはもはや厳密に成り立つとはみなせず、原子の実際の大きさを正確に決めることが可能になる。
— アルベルト・アインシュタイン『物理学年報』(1905 年 5 月)
1905 年になっても、多くの物理学者や化学者は原子が存在するのかを疑っていました。化学はこの仮説のもとでとてもうまくいっていましたが、原子を見た人はいませんでした。オーストリアの物理学者エルンスト・マッハやドイツの化学者ヴィルヘルム・オストヴァルトのような重要な科学者たちは、原子は計算に便利な言い方にすぎないと考えていました。アインシュタインはそれを見る方法を、いや、ほとんど見る方法を見つけました。顕微鏡で見えるほど大きなものへの、原子の影響を通して見るのです。
止まらない花粉
1827 年、スコットランドの植物学者ロバート・ブラウンは、ある植物の花粉から出た小さな粒が水に浮いているのを顕微鏡で観察しました。粒は止まることなく、あてもなくジグザグに動いていました。ブラウンははじめ生命のしわざだと思いましたが、ガラスや石の粉でも同じことが起こりました。どちらも生きているはずがありません。動きは決してやみませんでした。だれにも説明できませんでした。
アインシュタインは説明を示しました。粒は四方八方から、たえず水の分子にぶつかられているのです。衝突は一秒に何兆回もあって、ほとんどつりあっています。けれども完全にではありません。ある瞬間、たまたま片側からの衝突が多くなると、粒は小さく跳びます。見えない群衆に押しまわされるビーチボールのようなものです。
ランダムウォーク
話を単純にしましょう。粒が時間 $\delta t$ ごとに、右か左に大きさ $a$ の一歩を進むとします。どちらに進む確率も半分で、一歩一歩はそれまでの歩みと無関係です。$N$ 歩のあとの位置は和
$$x_N=\xi_1+\xi_2+\cdots+\xi_N,\qquad \xi_i=\pm a$$です。平均すると、粒はどこにも行きません。右への歩みと左への歩みが打ち消しあい、$\langle x_N\rangle=0$ です。でも、それは粒が止まっているという意味ではありません!正しい問いは、粒がふつう どれくらい遠く まで行くかであり、そのためには位置の二乗を見ます。
$$x_N^2=\sum_i\xi_i^2+\sum_{i\neq j}\xi_i\xi_j.$$$\xi_i^2$ はどれも $a^2$ です。ちがう歩みの積 $\xi_i\xi_j$ は同じ確率で $+a^2$ か $-a^2$ なので、平均は 0 です。残るのは
$$\langle x_N^2\rangle=Na^2.$$典型的な距離、つまりこの値の平方根は $a\sqrt N$ です。100 歩のあと、粒はふつう出発点から 10 歩のところに、10 000 歩のあとは 100 歩のところにいます。$N=t/\delta t$ と書き、$D=\frac{a^2}{2\,\delta t}$ を 拡散係数 と呼ぶと、
$$\boxed{\langle x^2\rangle=2Dt.}$$距離は 時間の平方根 で増えます。二倍遠くまで行くには、四倍待たなければなりません。かきまぜない紅茶では、角砂糖が全体を甘くするのにとても時間がかかるのはこのためです。
アインシュタインの式
アインシュタインの決定的な一歩は、顕微鏡で測れる $D$ を、液体と分子の性質に結びつけたことでした。粘性 $\eta$、絶対温度 $T$ の液体のなかの半径 $r$ の球について、彼は
$$D=\frac{RT}{N_A}\cdot\frac{1}{6\pi\eta r}$$を示しました。$R$ は昔から知られていた気体定数、$N_A$ は アボガドロ数、つまり 1 モルに含まれる分子の数で、当時はだれもきちんと測る方法を知りませんでした。ほかはすべて測れます。温度、粘性、粒の大きさ、そして根気があれば変位 $\langle x^2\rangle$ も。だからこの式から $N_A$ が出ます。花粉の粒をながめることで、コップ一杯の水にいくつの分子があるかを数えられるのです。
目安を示しましょう。室温の水のなかの直径 1 マイクロメートルの粒では、$D\approx4\times10^{-13}$ m²/s です。1 秒間に、ある方向にふつう $\sqrt{2Dt}\approx0.9$ マイクロメートル動き、1 分間では約 7 マイクロメートル動きます。わずかですが、顕微鏡なら見えます。
ペラン、原子を数える
1908 年から 1909 年にかけて、フランスの物理学者ジャン・ペランが測定を行いました。黄色い樹脂ガンボージの、大きさのそろった粒をつくり、顕微鏡で 30 秒ごとに追いかけ、その道すじを方眼紙に描いたのです。アインシュタインの式から $N_A\approx6\times10^{23}$ が得られました。今日認められている値 $6.022\times10^{23}$ にとても近い値です。まったく別の方法でも同じ数が出ました。
これを前にして、オストヴァルトでさえ原子の存在を信じるようになりました。ペランは 1926 年のノーベル物理学賞を受けました。
練習問題:粒が 10 秒で平均 2 マイクロメートル動く。20 マイクロメートル動くにはどれだけかかるか?
距離は $\sqrt t$ に比例します。距離を 10 倍にするには、時間を $10^2=100$ 倍にしなければなりません。1 000 秒、ほぼ 17 分です。だから拡散は、細胞のなかのような短い距離では速く、長い距離ではとても遅いのです。
練習問題:直線上を大きさ 1 で 4 歩進むランダムウォークで、x² の平均はいくつか。16 通りを数えて確かめよ。
式からは $\langle x^2\rangle=Na^2=4$ です。数えてみると、最後の位置は $4$、$2$、$0$、$-2$、$-4$ で、道すじはそれぞれ $1$、$4$、$6$、$4$、$1$ 通り。パスカルの三角形の数です。したがって
$$\langle x^2\rangle=\frac{1\cdot16+4\cdot4+6\cdot0+4\cdot4+1\cdot16}{16}=\frac{64}{16}=4.$$$x$ の平均は 0 ですが、$x^2$ の平均は 0 ではありません。
出典: Albert Einstein、「静止液体中に懸濁された小粒子の運動について」、Annalen der Physik 17(1905)、John Stachel 編『アインシュタイン論文選「奇跡の年」の 5 論文』所収 · Jean Perrin、『原子』(1913)· 1926 年ノーベル物理学賞、ノーベル財団。
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