コーシーの遺産
コーシーは狂っていて、彼とはどうにも話が通じない。それでも、いま数学をどうやるべきかを知っているのは彼なのだ。
— ニールス・ヘンリク・アーベル、ホルンボエへの手紙(1826)
コーシーはおよそ 800 編の論文と七冊の本を出版した。科学アカデミーが編集した『全集』は、1882 年から 1974 年にかけて、分厚い 27 巻で刊行された。数学者のなかで、これに匹敵する量の仕事を残したのは、オイラーとごくわずかな人だけである。
彼の名を冠するもの
- コーシー列と、収束についてのコーシーの判定条件。カントールによる実数の定義の土台である。
- べき根判定法、凝集判定法、二つの級数のコーシー積。
- コーシー=シュワルツの不等式と、平均の不等式のコーシーによる証明。
- ロピタルの定理を正当化するコーシーの平均値の定理。
- コーシー=リーマンの方程式、コーシーの積分定理、コーシーの積分公式、留数定理。
- コーシーの主値。やっかいな点のまわりを対称に切りとることで、$\int_{-1}^{1} \frac{dx}{x}$ のような積分に意味を与える。
- 微分方程式のコーシー問題。初期値が解を決めるかを問う。そして、解析関数についてそれに答えるコーシー=コワレフスカヤの定理。
- 固体力学のコーシーの応力テンソルと、光学のコーシーの分散公式。
- 行列式のコーシー=ビネの公式と、有限群についてのコーシーの定理。
- 凸多面体についてのコーシーの剛性定理。
- 『解析教程』で研究されたコーシーの関数方程式 $f(x + y) = f(x) + f(y)$。
- 確率論のコーシー分布。アニェージの曲線の形をしていて、平均をもたない。
厳密さ
もっとも大きかったのは態度の変化である。コーシー以後、解析学の結果は、明確な定義から証明されてはじめて認められる。そしてその定義は彼のものである。極限、収束、連続、導関数、積分。次の世代のワイエルシュトラス、デデキント、カントールがこの仕事を完成させ、一様収束のように、コーシーが直観を信じすぎたところを正した。しかし彼らが改修した建物は、コーシーのものだった。
人物
同時代の人びとは、彼を信心深く、貧しい人に気前がよく、疲れを知らず、そしてほとんどつきあいようのない人物として描いた。政治と宗教では一歩もゆずらず、同僚を改宗させようとし、発見の優先権を激しく争い、アカデミーの査読者としては手きびしかった。アーベルとガロアには彼に不満をもつ理由があったし、技師ジャン=ヴィクトル・ポンスレは、射影幾何学についての自分の考えを横取りしたと彼を非難した。その一方で、彼はひとつの誓いへの忠誠のために経歴を危険にさらし、信念を裏切るよりはと八年間パリを離れた。コーシーの生涯では、科学者と、信仰と党派の人とを切り離すのはむずかしい。
ゆかりの場所
コーシーは、1889 年にギュスターヴ・エッフェルがエッフェル塔に名前を刻ませた 72 人のフランスの科学者・技術者のひとりである。月の静かの海にはコーシーというクレーターがあり、パリ、ソー、そしてフランスのほかのいくつもの町に彼の名のついた通りがある。
演習:コーシーの関数方程式
『解析教程』でコーシーは、すべての $x, y$ について $f(x + y) = f(x) + f(y)$ をみたす連続関数は $f(x) = cx$ の形のものだけであることを証明した。その議論をたどり直せ。
$c = f(1)$ とおく。$x = y = 0$ とすると $f(0) = 2f(0)$ なので $f(0) = 0$。くり返し足すと、すべての正の整数 $n$ について $f(n) = nf(1) = cn$ で、$f(x) + f(-x) = f(0) = 0$ から負の整数でも成り立つ。正の整数 $q$ について、$c = f(1) = f\!\left(q \cdot \frac{1}{q}\right) = q\,f\!\left(\frac{1}{q}\right)$ だから $f\!\left(\frac{1}{q}\right) = \frac{c}{q}$、さらに $f\!\left(\frac{p}{q}\right) = c\,\frac{p}{q}$。公式はすべての有理数で成り立つ。どの実数も有理数の極限であり、$f$ は連続だから、すべての $x$ で $f(x) = cx$ である。
演習:三週間に一編の論文
コーシーは 1811 年から 1857 年までにおよそ 800 編の論文を出版した。平均して年に何編か。何日に一編か。
$1857 - 1811 = 46$ 年である。$\frac{800}{46} \approx 17$ 編が一年あたりで、$\frac{365}{17} \approx 21$ 日に一編。三週間に一編を、革命と亡命にはさまれながら、半世紀近くつづけたことになる。
出典: Bruno Belhoste、Augustin-Louis Cauchy: A Biography(1991) · Académie des sciences、Œuvres complètes d’Augustin Cauchy(1882–1974) · Judith V. Grabiner、The Origins of Cauchy’s Rigorous Calculus(1981) · Hans Freudenthal、「Cauchy, Augustin-Louis」、Dictionary of Scientific Biography 第 3 巻(1971)。