定理につけられた名前:スティグラーの法則
定理や公式や数の名前は、記法のうちで、ほとんどだれも疑問に思わない部分である。私たちは「パスカルの三角形」「ペル方程式」「ロピタルの定理」と、名前が中立的なラベルであるかのように書く。そうではない。名前は、だれが、だれによって、どの言語で読まれたかを記録している。
自分で自分を確かめる法則 1980 年、アメリカの統計学者スティーヴン・スティグラーは、挑発的な法則をかかげた論文を発表した。どんな科学的発見も、最初の発見者の名前ではよばれない。そしてしめくくりに、その法則を、すでにこの現象を研究していた社会学者ロバート・K・マートンのものとした。つまりスティグラーの命名法則は、それ自身の一例なのである。大げさではあるが、居心地が悪いほどよく当たる。
たくさんの名前をもつ三角形 それぞれの数が上の二つの数の和になっている数の三角形には、1654 年にそれについての論文を書いたブレーズ・パスカルの名前がついている。しかしそれは、紀元 1000 年ごろのペルシアのカラジーやオマル・ハイヤームの本にすでにあり、10 世紀インドのハラーユダの注釈にも現れる。そして中国では、数学者楊輝が 1261 年にそれを発表し、二世紀前の賈憲のものとした。中国ではいまも楊輝三角とよばれ、イタリアではタルタリアの三角形、イランではハイヤームの三角形とよばれる。
朱世傑『四元玉鑑』(1303)に「古法七乗方図」の題で載っている三角形。数は八段めまで、算木の数字で書かれている。朱世傑 · ウィキメディア・コモンズ · パブリックドメイン 上の朱世傑の三角形は、パスカルより 350 年前に描かれた。数がこの章の最初の文章の算木で書かれていることにも注意しよう。「パスカルの」という名前は、だれが最初に見たかを言っているのではない。世界の学校に届いた数学がヨーロッパのものであり、ヨーロッパ人が楊輝より先にパスカルを読んだ、と言っているのである。
何もしなかったペル 整数解を求める方程式 $x^2 - N y^2 = 1$ はペル方程式とよばれる。イギリスのジョン・ペルは、これとほとんど関係がない。インドのブラーマグプタが 628 年にそれを研究して解を組み合わせる規則を見つけ、バースカラ二世が 1150 年ごろ、すべての場合を解く方法、チャクラヴァーラ法を与えた。ヨーロッパでは、フェルマーが 1657 年に挑戦問題として出し、ウィリアム・ブラウンカーが解いた。ペルとブラウンカーを取りちがえてまちがった名前をつけたのはオイラーで、その名前がそのまま残ったのである。
買われた定理 $\frac{0}{0}$ の形の極限を、分子と分母を微分して求める定理には、ロピタル侯爵の名前がついている。彼はそれを 1696 年、最初の微分学の教科書で発表した。しかし結果は、彼の家庭教師だったヨハン・ベルヌーイのものだった。1694 年、二人は取り決めをしていた。ロピタルはベルヌーイに毎年年金を払い、そのかわりにベルヌーイの発見を受けとって好きなように使えるのである。この場合、記法は契約を記録している。
フィボナッチのウサギとインドの詩人たち
数列 $1, 1, 2, 3, 5, 8, 13, \ldots$ には、1202 年にウサギの問題でそれを使ったフィボナッチの名前がついている。その何世紀も前に、ヴィラハーンカや、のちのヘーマチャンドラのようなインドの詩人や文法学者が、短い音節と長い音節で詩の一行を作る方法が何通りあるかを数えて、すでにそれを見つけていた。問いはリズムについてのもので、ウサギについてのものではなかった。 いまさら名前をかえることはできないし、望ましくもないかもしれない。名前は記号の一部であり、かえれば混乱を生む。しかし名前がどこから来たのかを知ると、名前が教えてくれることが変わる。たくさんの名前をもつ三角形は、数学が多くの場所で作られたことを教える教材でもある。
練習:朱世傑の最後の段朱世傑の三角形の最後の段は $(a+b)^8$ の係数を与える。それを書き、和を確かめよ。
$1, 8, 28, 56, 70, 56, 28, 8, 1$。和は $256 = 2^8$ で、どの段でもそうなる。$a = b = 1$ とおけば $(1+1)^8 = 2^8$ だからである。図で最後の段のまん中の $70$ を探してみよう。十の位の $7$ は算木の横式で書かれ、五を表す縦の一本と横の二本からできている。