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エニグマ:1.59×10²⁰ 通りの鍵と一つの欠陥

アメリカの国家安全保障局の国立暗号博物館に展示されている、ローター三つのエニグマ。上がローター、中ほどがランプ、下がキーボード、手前がプラグボード。National Security Agency · Wikimedia Commons · パブリックドメイン エニグマは、木の箱に入ったタイプライターのように見えた。操作員がキーボードで文字を押すと、ランプ盤で別の文字が光る。二人めの操作員が光った文字を書きとめ、その文字列がモールス信号で無線送信された。受け手の側では、同じように設定した同じ機械で操作員が暗号文を打ち込み、ランプでもとの文を読んだ。 キーとランプのあいだで、電流は迷路を通った。プラグボード、中で配線が交差した三つのローター、電流を送り返すリフレクター、ふたたび三つのローター、そしてふたたびプラグボード。しかもキーを押すたびに最初のローターが一つ回り、迷路全体が変わった。 鍵を数える ドイツ軍がエニグマを信頼したのは、設定の可能な数の多さのためだった。1939 年の陸軍型について、パスカルが教えてくれた組合せ論で数えてみよう。 ローター。 5 個入りの箱から 3 個を選び、順序も区別する。 $$5\cdot4\cdot3=60.$$初期位置。 各ローターは 26 文字のどれかから始まる。 $$26^3=17\,576.$$プラグボード。 10 本のケーブルが文字を二つずつつなぎ、入れ替える。26 文字から 10 組をつくる方法は何通りか。26 文字を $26!$ 通りのどれかの順に一列に並べ、最初の 20 文字で二つずつ組をつくる。残りの 6 文字はつながず、その順序は関係ないので $6!$ で割る。10 組の順序も関係ないので $10!$ で割る。各組の中の順序も関係ないので $2^{10}$ で割る。結果は $$\frac{26!}{6!\cdot10!\cdot2^{10}}=150\,738\,274\,937\,250.$$合計。 かけ合わせると $$60\cdot17\,576\cdot150\,738\,274\,937\,250\approx1.59\times10^{20}.$$ローターのリング設定を数えなくても、約 1.59×10²⁰ 通りの鍵がある。毎秒百万通り試しても、すべてを試すにはおよそ五百万年かかる。 欠陥 リフレクターには実用上の利点があった。同じ設定のまま、機械で暗号化も復号もできたのである。しかし生まれつきの欠陥ももたらした。電流はいつも別の道を通って戻ってくるので、どの文字も自分自身には暗号化されない。A はけっして A にならない。 ささいなことに見えるが、これが決定的だった。暗号解読者たちは、多くの通信に予想できる語が含まれていることを知っていて、それを crib(カンニング)と呼んだ。6 時の天気予報は WETTERVORHERSAGE で始まり、多くの報告は KEINE BESONDEREN EREIGNISSE、「特記事項なし」と書かれていた。クリブが暗号文のどこにあるかを見つけるには、それを暗号文に沿ってずらしていき、どこかの文字が真下の暗号文の文字と一致する位置をすべて捨てればよかった。 Q F Z W R W I K T Y R E S X B F O G K U H Q W E T T E R V O R H E R S A G E ← S の上に S:ありえない W E T T E R V O R H E R S A G E ← 一致なし:ありうる 最初の位置では、クリブの S が暗号文の S の上に来てしまうが、エニグマはけっしてそうしない。この位置は捨てられる。4 文字先では、どの文字も一致せず、この位置は候補として残る。

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バンブリスムス:証拠をデシバンで量る

ボンブは速かったが、海軍のエニグマのローターの順序をすべて試すほどには速くなかった。1940 年、チューリングは、機械を動かす前にその大部分を除くための、紙と鉛筆の方法を考え出した。この方法で使う用紙がバンベリーの町で印刷されていたので、同僚たちはそれをバンブリスムスと名づけた。 これは統計的な方法である。そしてそれを考え出すために、チューリングは現代統計学の中心的なアイデアの一つを独自に発明しなおした。 くり返す文字 ドイツ語の通信を二つ、上下に並べて書き、両方が同じ文字になっている位置を数えてみよう。ドイツ語では E、N、R、I がよく使われるので、一致は文字が無作為に選ばれた場合よりずっと多い。ドイツ語の文章では、並んだ二つの文字が一致する確率はおよそ $\frac1{17}$ である。文字が無作為なら $\frac1{26}$ になる。 エニグマはこの性質を奇妙なかたちで保つ。二つの通信が同じローター位置の列で暗号化されていれば、同じ位置の同じ文字は同じ文字になるので、原文の一致は暗号文でも一致のまま残る。位置が違えば、割合は $\frac1{26}$ に落ちる。だから一致を数えれば、二つの通信がそろっているという証拠が得られ、それがローターの位置についての情報をもたらした。 一致一つの値打ち チューリングは問うた。一つの一致は、通信がそろっているという私の確信をどれだけ強めるべきか。答えは尤度比、つまり一方の場合に一致を見る見込みが、他方の場合の何倍か、である。 $$\frac{\text{そろっているときの一致の確率}}{\text{そろっていないときの確率}}=\frac{1/17}{1/26}=\frac{26}{17}\approx1.53.$$一致のない位置は、反対向きの、ずっと弱い証拠である。 $$\frac{16/17}{25/26}=\frac{416}{425}\approx0.979.$$ベイズの定理によれば、証拠は一つごとにオッズ(ある仮説の確率と、もう一方の仮説の確率の比)にその尤度比をかける。位置が多ければかけ算も多くなり、手でのかけ算は遅い。 かけるかわりに足す チューリングは、三世紀前にネイピアがしたことをした。対数に移って、かけ算を足し算に変えたのである。彼は尤度比の常用対数をバン、その十分の一をデシバンと呼んだ。 $$\text{デシバンで表した重み}=10\log_{10}(\text{尤度比}).$$すると、一致一つは $$10\log_{10}\frac{26}{17}\approx+1.8\ \text{デシバン},$$一致のない位置一つは $$10\log_{10}\frac{416}{425}\approx-0.09\ \text{デシバン}$$の値打ちになる。第 8 号小屋の作業員は、数えて足すだけでよかった。合計が $+20$ デシバンなら、証拠によって仮説のオッズが前の $10^2=100$ 倍になったということである。 感じとれる最小の証拠 ブレッチリーでチューリングと働いた統計学者 I・J・グッドは、デシバンが選ばれたのは、それが人間の直感で感じとれる証拠の重みの最小の変化にほぼ等しいからだと回想している。デシベルが、耳が気づく音の大きさの最小の変化であるのと同じである。戦後、グッドはこれらの考えを発展させ、現代のベイズ統計学の確立に力を尽くした。彼が使った「証拠の重み」という言葉づかいは、チューリングのものである。 練習:証拠を足し合わせる200 か所でそろえた二つの通信に一致が 14 か所ある。重みの合計は何デシバンか。そろっているという仮説はより確からしくなったか。 一致が 14 か所、一致のない位置が 186 か所なので、$14\cdot1.8+186\cdot(-0.09)\approx25.2-16.7=8.5$ デシバン。正なので、そろっているほうのオッズはおよそ $10^{0.85}\approx7$ 倍になった。文字が無作為なら一致の期待値は $200/26\approx7.7$、そろっていれば $200/17\approx11.8$ である。14 はそろっているほうによく合う。 練習:一致がいくつで引き分けか100 か所のうち、一致がいくつ $k$ なら重みの合計がゼロになるか。 $1.8k-0.09(100-k)=0$、すなわち $1.89k=9$ で、$k\approx4.8$。100 か所で一致が 5 以上あれば、証拠はもうそろっているほうに傾く。これは無作為の期待値 $100/26\approx3.8$ と、そろっているときの期待値 $100/17\approx5.9$ のあいだの数である。 出典: I. J. Good, “Studies in the history of probability and statistics XXXVII: A. M. Turing’s statistical work in World War II”, Biometrika(1979)· Andrew Hodges, Alan Turing: The Enigma(1983)· Sharon Bertsch McGrayne, The Theory That Would Not Die(2011)。