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アレクサンドリアのユークリッド:顔のない著者

年表 前 530 年ごろピタゴラスとその弟子たちが南イタリアで数と図形を研究する。 前 387 年ごろプラトンがアテナイにアカデメイアを開く。言い伝えでは、門に「幾何学を知らぬ者入るべからず」。 前 331 年アレクサンドロス大王がナイル川のデルタにアレクサンドリアを建設する。 前 300 年ごろユークリッドがプトレマイオス一世の時代にアレクサンドリアで教え、『原論』を書く。 前 250 年ごろシュラクサイのアルキメデスが『原論』を引用する。 後 100 年ごろエジプトのオクシリンコスで見つかったパピルスに、第二巻の一節が残る。 370 年ごろアレクサンドリアのテオンが版を整え、それが以後何世紀も写されていく。 450 年ごろプロクロスが第一巻の注釈を書き、ユークリッドについてのわずかな情報を残す。 800 年ごろ『原論』がバグダードでアラビア語に訳される。 1120 年ごろバースのアデラードがアラビア語版をラテン語に訳す。 1482 年エアハルト・ラトドルトがヴェネツィアで最初の印刷版を出す。 ◀ 前へ 旅をたどる 次へ ▶ c. 387 a.C. アテネプラトンがアカデメイアを創設する。ユークリッドがまとめる幾何学は、ギリシアの学園で育った。 c. 300 a.C. アレクサンドリアユークリッドがプトレマイオス 1 世の時代に教え、『原論』全十三巻を書く。 c. 250 a.C. シラクサアルキメデスがすでに著作の中で『原論』を引用している。 c. 100 オクシリンコス町のごみ捨て場から見つかったパピルスに、第 2 巻の一節が図とともに残っている。 c. 370 アレクサンドリアアレクサンドリアのテオンが、その後千年にわたって写される版を作る。 c. 450 アテネプロクロスが第 1 巻の注釈を書く。ユークリッドについてのわずかな情報はここにある。 c. 800 バグダード知恵の館で、『原論』がアラビア語に訳される。 c. 1120 バースバースのアデラードがアラビア語の本文をラテン語に訳し、本はヨーロッパに戻る。 1482 ヴェネツィアエアハルト・ラトドルトが、余白に図を入れた最初の版を印刷する。その後、千を超える版が続いた。 地図を見るには JavaScript を有効にしてください。各地点は下の一覧にあります。 アテネとアレクサンドリアから、ヴェネツィアの最初の印刷本まで。『原論』の旅。 地図:© OpenStreetMap 協力者

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『原論』:定義、公準、公理

点とは部分をもたないものである。線とは幅のない長さである。 — ユークリッド『原論』第一巻、定義 1 と 2 三角形の角の和がいつも 180° になることを、疑いの余地なくだれかに納得させたいとしましょう。測るだけでは足りません。分度器には誤差があり、測れる三角形もいくつかにすぎません。必要なのは 論証 です。けれども、どんな論証もどこかから出発します。どこから出発すればよいのでしょう。どの主張も別の主張で正当化しなければならず、その主張もまた別の主張で、となれば、鎖は決して終わりません。 ユークリッドの解決は、最初のページで、どこから出発するのかを正確に宣言することでした。ほかのことはすべて証明しなければならないのです。 三つの部品 『原論』第一巻は三つのリストで始まります。 定義(第一巻に 23):何について話すのかを述べる。「点とは部分をもたないものである」。「円とは一本の線に囲まれた平面図形で、その内部の一点からその線へ引いたすべての直線が等しいものである」。 公準(5):幾何学で何ができるかについて、読者に認めてもらうこと。 公理(共通概念、5):幾何学にかぎらず、どんな量についても成り立つ一般的な真理。 五つの 公準 を意訳すると、 任意の点から任意の点へ直線を引くことができる。 有限の直線を連続して一直線に延長することができる。 任意の中心と任意の半径で円を描くことができる。 すべての直角はたがいに等しい。 一本の直線が二本の直線と交わり、同じ側の内角の和が二直角より小さいならば、その二本の直線を限りなく延長すると、その側で交わる。 最初の三つは、目盛りのない定規 と コンパス でできること、つまり直線を引く、延長する、円を描くことを述べています。『原論』のすべての作図は、この二つの道具だけを使います。四つ目は直角が標準の尺度であることを保証します。五つ目はほかよりも長く、自明さも劣ります。これが有名な 平行線公準 です。 五つの 公理 は、 同じものに等しいものは、たがいに等しい。 等しいものに等しいものを加えれば、全体は等しい。 等しいものから等しいものを引けば、残りは等しい。 たがいに重なりあうものは、たがいに等しい。 全体は部分より大きい。 一つ目は、今日なら「$a=c$ かつ $b=c$ ならば $a=b$」と書くことです。これは 最初の命題 でさっそく使われます。 十三巻の地図 巻 内容 I 三角形、平行線、ピタゴラスの定理 II 幾何学的代数:長方形と正方形の面積 III、IV 円と内接多角形 V エウドクソスの比例論 VI 相似な図形 VII〜IX 数論:最大公約数、素数、完全数 X $\sqrt2$ のような通約できない量 XI〜XIII 立体幾何学と五つの正多面体 本は、正多面体がちょうど 五つ、正四面体、立方体、正八面体、正十二面体、正二十面体しかないことを証明して終わります。プラトンはそれらを自然の元素と結びつけていて、本全体がそこにたどりつくために書かれたと考える人もいます。 円と取り尽くし法 第 12 巻は、とても古い問いに答えています。円の面積はいくらか。エジプト人にはやり方がありました。紀元前 1550 年ごろのリンド・パピルスでは、直径 9 の丸い畑の面積は一辺 8 の正方形の面積とされており、これは $\pi\approx\frac{256}{81}\approx3.16$ を使うのと同じです。聖書では、ソロモンの神殿の大きな青銅の「海」は「縁から縁まで十アンマ」で、「周囲は縄で測ると三十アンマ」でした(列王記上 7 章 23 節)。そこでは $\pi=3$ です。

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最初の命題:正三角形

与えられた有限の直線の上に、正三角形をつくること。 — ユークリッド『原論』命題 I.1 定義、公準、公理のあと、『原論』は小さくて美しい問題で始まります。線分 $AB$ があります。定規とコンパスだけで、三辺がすべて $AB$ に等しい三角形をつくりたい。本の 465 の命題の最初のもので、ほかのすべての命題がどう進むのかを、わずかな行で示してくれます。 作図 ユークリッドは最初の三つの公準だけを使います。 $A$ を中心、$AB$ を半径として円を描く(公準 3)。 $B$ を中心、同じ半径 $BA$ でもうひとつ円を描く(公準 3)。 二つの円は点 $C$ で交わる。 直線 $CA$ と $CB$ を引く(公準 1)。 三角形 $ABC$ が求める三角形です。 命題 I.1 の作図。緑の円の中心は A、青い円の中心は B。どちらも半径 AB で、C で交わる。Euler’s Eyes 作図 証明 つくるだけでは足りません。三角形が正三角形であることを 証明 しなければなりません。証明は三段階で、それぞれ根拠を挙げます。 $C$ は $A$ を中心とする円の上にあるので、$AC=AB$。円の定義により、半径はすべて等しい。 $C$ は $B$ を中心とする円の上にあるので、$BC=BA$。同じ理由による。 $AC$ と $BC$ はどちらも $AB$ に等しいので、$AC=BC$。公理 1、同じものに等しいものはたがいに等しい、による。 したがって

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ユークリッド流のピタゴラスの定理

直角三角形において、直角に対する辺の上の正方形は、直角をはさむ辺の上の正方形の和に等しい。 — ユークリッド『原論』命題 I.47 ギリシャ人よりずっと前、ナイル川の氾濫のたびに畑の境界を引きなおしたエジプトの測量師たちは、縄張り師 と呼ばれていました。言い伝えでは、等間隔に 12 の結び目をつけた縄を使い、それを三辺 3、4、5 の三角形に張ると直角ができたといいます。バビロニア人はもっと多くを知っていました。紀元前 1800 年ごろの粘土板 プリンプトン 322 には、辺が整数の直角三角形がならび、なかには 3 367、3 456、4 825 のような大きなものもあります。 このサイトの旧幾何学講座は、いちばん簡単な例から始めていました。 $$3^2+4^2=9+16=25=5^2,\qquad 6^2+8^2=36+64=100=10^2.$$エジプト人やバビロニア人に欠けていたのは、この関係が すべての 直角三角形で成り立つという 証明 でした。伝統はそれを紀元前六世紀のピタゴラスに帰していますが、彼の証明は残っていません。私たちがもっている最も古い証明はユークリッドのもので、第一巻の最後から二番目の命題です。(日本ではこの関係を「三平方の定理」とも呼びます。) 風車の証明 $ABC$ を $A$ で直角となる三角形とし、直角をはさむ辺を $AB=c$、$AC=b$、斜辺を $BC=a$ とします。各辺の上に正方形をつくります。できあがった図が風車に似ているので、この証明はその愛称で呼ばれます。アラビアの数学者たちは「花嫁の椅子」と呼びました。 命題 I.47 の図。A から下ろした高さ(点線)が斜辺の上の正方形を二つの長方形に分ける。左の長方形は AB の上の正方形と、右の長方形は AC の上の正方形と面積が等しい。Euler’s Eyes 作図 ユークリッドの考えは、$A$ を通って $BC$ に垂直な線を引き、$BC$ の上の大きな正方形を二つの長方形に分け、それぞれの長方形が小さな正方形のひとつと面積が等しいことを示すことです。証明に使うのは、すでに証明された二つの事実だけです。 I.4:二辺とそのあいだの角がそれぞれ等しい二つの三角形は合同であり、面積も等しい。 I.41:平行四辺形と底辺と高さが同じ三角形は、平行四辺形の半分の面積をもつ。 左の長方形については、ユークリッドは $B$ を頂点とする二つの三角形を見ます。一つ目は、$B$、$A$、そして下の正方形の $B$ の真下にある頂点でできる三角形。二つ目は、$B$、$C$、そして $AB$ の上の正方形の、$B$ のとなりにあって $A$ でない頂点でできる三角形です。この二つの三角形は、$AB$ の上の正方形の一辺と $BC$ の上の正方形の一辺という二辺が等しく、そのあいだの角も等しくなっています。どちらも三角形の一つの角に直角を足したものです。I.4 により、面積は等しくなります。

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正方形と長方形でする代数

直線が任意に分けられるならば、全体の上の正方形は、それぞれの部分の上の正方形と、二つの部分にはさまれた長方形の二倍との和に等しい。 — ユークリッド『原論』命題 II.4 ギリシャ人には、未知数を表す文字も、プラスやマイナスの記号も、等号もありませんでした。$a\cdot b$ のことを話したいときは、辺が $a$ と $b$ の 長方形 の話をし、$a^2$ のことを話したいときは、辺が $a$ の 正方形 の話をしました。べき乗に使う「平方」や「立方」という言葉はここから来ています。『原論』の第二巻はまるごとこのやり方で書かれていて、面積についての事実として述べられ証明された代数の恒等式でできています。歴史家はそれを 幾何学的代数 と呼びます。 和の平方 引用の命題 II.4 はこう言います。線分を $a$ と $b$ の二つに分ける。線分全体の上の、辺 $a+b$ の正方形は、$a$ の上の正方形と、$b$ の上の正方形と、辺 $a$ と $b$ の長方形二つの和に等しい。四つに分けた大きな正方形の図を見れば十分です。今日の記法では、 $$(a+b)^2=a^2+b^2+2ab.$$学校で暗記する公式を、ユークリッドは 描いた のです。そして証明はその図そのものです。四つの部分が、あまりも不足もなく大きな正方形を埋めつくしています。 平方の差 命題 II.5 は、知られている最も古い『原論』の断片、オクシリンコスのパピルスに書かれていたものです。今日のことばでは、長さ $2m$ の線分をまんなかで切り、さらに任意の点で $m+d$ と $m-d$ に分けると、 $$(m+d)(m-d)+d^2=m^2$$となる、と言っています。これは恒等式 $m^2-d^2=(m+d)(m-d)$、平方の差 です。ユークリッドは、長方形の一部を切りとって小さな正方形のとなりにはめこみ、正方形をつくることで証明します。 平方完成 ユークリッドから千年後の 820 年ごろ、中央アジアのホラズム地方の出身で、バグダードの知恵の館で働いていた数学者ムハンマド・イブン・ムーサー・アル=フワーリズミー が、未知の量をひとつ含む問題の解き方についての本を書きました。その題名には「復元」を意味する al-jabr という言葉があり、それが 代数(algebra)という言葉の起源になりました。著者の名前は アルゴリズム という言葉の起源です。このサイトの旧二次方程式講座は、彼の例のひとつを紹介していました。 ひとつの平方とその根の十倍が三十九に等しい。平方はいくつか? 今日のことばでは $x^2+10x=39$ です。フワーリズミーは、ユークリッドがしたであろうのとまったく同じく、面積でそれを解きました。 x² + 10x = 39 の幾何学的な解き方。一辺 x の黄色い正方形と、辺が x と 5 の二つの緑の長方形をあわせると 39 になる。一辺 5 の赤い小さな正方形が、一辺 x + 5 の正方形を完成させる。Euler’s Eyes 作図 一辺 $x$ の正方形を描く。面積は $x^2$。 「根の十倍」$10x$ を、辺が $x$ と $5$ の二つの長方形に分け、正方形の二辺にそれぞれくっつける。L 字形の図全体の面積は $x^2+10x=39$。 大きな正方形を完成させるには、すみに一辺 $5$、面積 $25$ の小さな正方形が足りない。それを加えると、大きな正方形の面積は $39+25=64$。 面積 $64$ の正方形の一辺は $8$。ところが大きな正方形の一辺は $x+5$ なので、$x+5=8$、$x=3$。 今日の記法では、こうなります。

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ユークリッドの互除法:最大公約数

ユークリッドの互除法はあらゆるアルゴリズムのおじいさんである。今日まで生きのびている、自明でないアルゴリズムのなかで最も古いのだから。 — ドナルド・クヌース『The Art of Computer Programming』第 2 巻(1969) 長さ 252 cm と 105 cm の二本の棒があって、どちらもちょうど整数回で測れるいちばん長い物差しを見つけたいとします。今日のことばでは 最大公約数 $\gcd(252,105)$ が知りたいわけです。それぞれの数の約数をすべて書きだして、共通するいちばん大きなものを探してもよいのですが、大きな数ではそうはいきません。『原論』の第七巻で、ユークリッドはずっと速い方法を教えています。 大きいほうから小さいほうを引く 命題 VII.1 と VII.2 でのユークリッドの考えは単純です。二本の棒を測れる物差しは、その 差 も測れる。だから 252 と 105 の共通の尺度を探すかわりに、105 と $252-105=147$ について探してもよい。それから 105 と $147-105=42$ について。いつも大きいほうから小さいほうを引き、二つが等しくなるまで続けます。 $$(252,105)\to(147,105)\to(42,105)\to(42,63)\to(42,21)\to(21,21).$$どちらも 21 になりました。これが最大公約数です。ギリシャ人はこの手続きを アンテュパイレシス、「たがいに引くこと」と呼びました。 割り算による版 同じ数を何回も引くのは、割ることです。くり返しの引き算を余りのある割り算にまとめると、アルゴリズムは短くなります。 $$\begin{aligned}252&=2\cdot105+42\\105&=2\cdot42+21\\42&=2\cdot21+0\end{aligned}$$最後の 0 でない余りが最大公約数です。 $$\boxed{\gcd(252,105)=21.}$$なぜうまくいくのか $a=qb+r$ なら、 $a$ と $b$ をともに割りきる数は、$r=a-qb$ も割りきる。 $b$ と $r$ をともに割りきる数は、$a=qb+r$ も割りきる。 組 $(a,b)$ と $(b,r)$ の公約数はまったく同じなので、$\gcd(a,b)=\gcd(b,r)$ です。では、なぜアルゴリズムは 終わる のでしょう。余りは一歩ごとに小さくなる正の整数で、$42>21>0$、そして正の整数がいつまでも小さくなりつづけることはできないからです。いつかは余りが 0 になり、$\gcd(d,0)=d$ です。

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素数は尽きない

素数は、示されたどんな個数の素数よりも多い。 — ユークリッド『原論』命題 IX.20 素数 とは、1 と自分自身でしか割りきれない、1 より大きい整数です。2、3、5、7、11、13、……。ほかの数は、$12=2\cdot2\cdot3$ のように、すべて素数の積です。素数は算数の原子なのです。 先へ進むほど、素数はまれになります。1 から 100 までには 25 個ありますが、1 000 001 から 1 000 100 までには 6 個しかありません。どこかで尽きてしまうのでしょうか。ユークリッドは、尽きないことを四行の議論で示しました。イギリスの数学者 G. H. ハーディは、それを数学全体で最も美しい議論のひとつとみなしていました。 証明 だれかが有限個の素数のリスト $p_1,p_2,\ldots,p_n$ をくれたとします。ユークリッドは、そのリストの 外に 少なくともひとつ素数があることを示します。すべてをかけて 1 を足しましょう。 $$N=p_1\cdot p_2\cdots p_n+1.$$$N$ をリストのどの素数で割っても、積 $p_1p_2\cdots p_n$ はその素数で割りきれるので、余りは 1 です。リストのどの素数も $N$ を割りきりません。 ところが $N$ は 1 より大きいので、少なくともひとつ素因数 $q$ をもちます。なぜでしょう。$N$ の 1 より大きい約数のうち最小のものをとります。それが素数でなければ、もっと小さい約数をもち、それも $N$ を割りきるので、最小だという選び方に反します。だから最小の約数は素数です。 この素数 $q$ は $N$ を割りきり、リストのどの素数も $N$ を割りきりません。よって $q$ はリストにありません。どんな有限のリストもすべての素数を含むことはできないのです。 $$\boxed{\text{素数は無限にある。}}$$ユークリッドは「無限」という言葉を使いません。ギリシャ人が避けた言葉です。彼は、どんな 個数の素数が与えられても、もっとある、と言います。同じことを、注意深く言ったのです。 つくった数はいつも素数とはかぎらない $N$ はいつも素数だと思うのは、よくあるまちがいです。見てみましょう。

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第五公準とほかの幾何学

私は無から、奇妙な新しい宇宙をつくりだしました。 — ボヤイ・ヤーノシュ、父への手紙(1823 年 11 月 3 日) ユークリッドの最初の四つの公準は短く、明らかです。直線を引く、それを延ばす、円を描く、すべての直角は等しい。五つ目はちがいます。 一本の直線が二本の直線と交わり、同じ側の内角の和が二直角より小さいならば、その二本の直線を限りなく延長すると、その側で交わる。 長いうえに、だれにも確かめられないことを語っています。限りなく 延ばした二本の直線がどうなるか、です。ユークリッド自身もこれを疑わしく思っていたようで、できるかぎり使うのを避け、命題 I.29 になってはじめて使っています。 プレイフェアの形 もっと覚えやすい形があり、1795 年にスコットランドのジョン・プレイフェアが広めました。直線の外の一点を通って、その直線に平行な直線はただ一本ある。ほかの公準のもとでは、二つの形は同値です。一方を認める人は、もう一方も認めなければなりません。 三角形の角 第五公準の最も有名な帰結は命題 I.32、三角形の内角の和は二直角、つまり $180°$ に等しい です。このサイトの旧三角法講座は、これを第一の「規範」と呼んでいました。 $$\boxed{\alpha+\beta+\gamma=180°.}$$証明はこうです。三角形 $ABC$ の頂点 $C$ を通って、底辺 $AB$ に平行な線を引きます。この平行線が辺 $CA$、$CB$ となす角は、錯角 なので、三角形の角 $\alpha$ と $\beta$ に等しくなります(I.29)。角 $\gamma$ とあわせて、三つの角は平行線の上にならび、平角 $180°$ をつくります。錯角が等しいという段階こそ、第五公準が入ってくるところです。 二千年の証明の試み 二千年のあいだ、数学者たちは、第五公準は公準ではなく定理であるべきだ、ほかの四つから証明できるはずだ、と考えていました。プトレマイオス、プロクロス、ペルシャのウマル・ハイヤーム、同じくペルシャのナスィールッディーン・トゥースィー、イギリスのジョン・ウォリスが挑みましたが、みな失敗しました。どの「証明」も、どこかに公準そのものと同値な仮定を隠しもっていたのです。 1733 年、イエズス会の司祭ジローラモ・サッケーリは別の道を試しました。公準が まちがっている と仮定して、矛盾にいたろうとしたのです。彼は、角の和が $180°$ より小さい三角形など、奇妙な定理を何十も導きました。矛盾はひとつも見つかりませんでしたが、矛盾は必ずあるはずだと信じていた彼は、その結果を「直線の本性に反する」と宣言し、『あらゆる汚点から清められたユークリッド』という題で本を出しました。発見まであと一歩だったのに、それが見えなかったのです。 新しい幾何学 十九世紀のはじめ、三人がそれぞれ独立に、欠けていた一歩を踏みだしました。第五公準のない幾何学も ユークリッドの幾何学と同じくらい矛盾がない と認めることです。ガウスは 1820 年ごろそこにたどりつきましたが、反響をおそれて発表しませんでした。ロシアのニコライ・ロバチェフスキーは 1829 年、カザン大学の雑誌に発表しました。数学者の息子だったハンガリーのボヤイ・ヤーノシュは、1832 年、父の本の付録として発表しました。 ボヤイの父ファルカシュは、生涯をかけて第五公準を証明しようとしていました。息子が同じ道を進んでいると知ると、あきらめてくれと頼む手紙を書きました。「後生だから、平行線のことはほうっておきなさい。みだらな情熱のように忌みきらいなさい。それはおまえの時間も、健康も、心の平安も、人生の幸福も、すべて奪いかねないのだから」。ヤーノシュはあきらめず、1823 年、この記事の冒頭の言葉で返事をしました。 この 双曲幾何学 では、直線の外の一点を通る平行線は 無限に あり、三角形の角の和はいつも $180°$ より 小さく なります。三角形が大きいほど、和は小さくなります。 球面の幾何学 反対の場合もあります。球の表面では、「直線」つまり最短の道は、赤道や子午線のような 大円 です。二つの大円はいつも交わるので、平行線はありません。赤道と、北極から $90°$ 離れて出る二本の子午線でできる三角形を考えましょう。三つの角はどれも直角で、和は

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ユークリッドの遺産

彼は下院議員になってから、ユークリッドの六巻を学び、ほぼものにした。 — エイブラハム・リンカーン、自伝的覚え書き(1860) 『原論』は、聖書についで、歴史上最も多く書き写され、訳され、印刷された本のひとつです。1482 年にヴェネツィアで最初の印刷版が出て以来、版は千を超えます。二千年以上のあいだ、「幾何学を学ぶ」とは「ユークリッドを学ぶ」ことでした。 1482 年にヴェネツィアでエアハルト・ラトドルトがつくった『原論』の最初の印刷版。ラテン語訳。図は本文のわきの余白にある。昔の読者がページを書きこみで埋めている。Folger Shakespeare Library · Wikimedia Commons · CC BY-SA 4.0 一冊の本の多くの顔 このサイトの旧三角法講座は、ユークリッドの見せ方を変えたいくつかの版を集めていました。 年 人物 版 1120 年ごろ バースのアデラード アラビア語からラテン語への翻訳 1482 エアハルト・ラトドルト 最初の印刷版、ヴェネツィア 1570 ヘンリー・ビリングズリー 最初の英訳。折ると立体になる紙の図つき 1607 マテオ・リッチと徐光啓 最初の六巻の中国語訳、北京 1698 ザムエル・ライヤー Euclides… mit algebraischen Zeichen、代数記号で書いたユークリッド 1847 オリヴァー・バーン The First Six Books of the Elements of Euclid、文字を色に置きかえた版 バーン の版は、これまでに印刷された最も美しい本のひとつです。「三角形 $ABC$」と書くかわりに、彼は三角形を黄、赤、青で描き、証明は小さな色つきの図の連なりになります。当時は売れませんでしたが、今では博物館の所蔵品であり、デザイナーたちのインスピレーションの源です。 ナスィールッディーン・トゥースィーの版による『原論』のアラビア語版。1594 年にローマで印刷された。ハーヴァード大学ホートン図書館 · Wikimedia Commons · パブリックドメイン 方法 定理よりも大切だったのは 方法 でした。アイザック・ニュートンは『原論』にならって『プリンキピア』(1687)を書きました。定義、運動の法則と名づけた公理、そして一つひとつ証明される命題です。スピノザは『エチカ』(1677)を「幾何学的秩序にしたがって」書き、神と魂について定義と公理と命題を立てました。アメリカの独立宣言は、公理のように自明とされる真理から始まり、そこから独立の権利を導いています。

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画像クレジット

歴史的な画像 すべてウィキメディア・コモンズから取りました。コモンズが提供するサムネイルを、編集せずに使っています。ユークリッドの生前に描かれた肖像はひとつもありません。出まわっている彼の姿は、ずっとあとの画家たちの想像です。 オクシリンコスのパピルス、命題 II.5、紀元 100 年ごろ、ペンシルヴェニア大学博物館:元のページ · パブリックドメイン。 『アテナイの学堂』の部分、ラファエロ、1509–1511 年:元のページ · パブリックドメイン。 オリヴァー・バーン版の命題 I.47、ロンドン、1847 年、Mirko Junge によるスキャン:元のページ · パブリックドメイン。 『原論』の最初の印刷版、エアハルト・ラトドルト、ヴェネツィア、1482 年、Folger Shakespeare Library:元のページ · CC BY-SA 4.0。 『原論』のアラビア語版、ナスィールッディーン・トゥースィーの版、ローマ、1594 年、ホートン図書館:元のページ · パブリックドメイン。 ブログの図 表紙、正三角形の作図、ピタゴラスの定理の図、平方完成の図は、このサイトのオリジナルのイラストで、サイトの各言語の版があります。平方完成の例 $x^2+10x=39$ と練習問題 $x^2+8x=65$ は、このサイトの旧二次方程式講座から取り、図は描きなおしました。3、4、5 と 6、8、10 の例と版の表は、旧幾何学講座と旧三角法講座から来ています。 記録 ファイル data/euclides_imagens.json には、ダウンロードした各画像の出所、ライセンス、確認日、SHA-256 ハッシュが記録されています。各トピックの歴史的な出典は、それぞれの記事の末尾にあります。 ユークリッドの全トピック · ← ユークリッドの遺産