1925 年と 1926 年に、量子力学の二つの版がほぼ同時に生まれた。ハイゼンベルクの版は無限行列を使い、シュレーディンガーの版は波動方程式を使った。どちらも実験では同じ結果を与えたが、別々のことを語っているように見えた。しかも物理学者たちは、ディラックのデルタ「関数」のような、数学者には受け入れがたい技巧を使っていた。 ゲッティンゲンでヒルベルトとともに働いていたフォン・ノイマンは、二つが同じ理論を異なる座標で書いたものであることを示し、すべてを一つの言語で書き直した。1932 年の本『量子力学の数学的基礎』は、この理論を完全に厳密に知りたい者にとって今も参考書である。 状態はベクトルである フォン・ノイマンの言葉では、物理系の状態はヒルベルト空間の中の長さ 1 のベクトルである。ヒルベルト空間とは、平面や三次元空間のように内積をもつ空間だが、無限に多くの次元をもちうる。最も簡単な例として、測定すると「上」か「下」の二つの結果しか出ない系を考えると、その状態は平面上にある。 $$\psi = a\,\mathbf{e}_\uparrow + b\,\mathbf{e}_\downarrow, \qquad a^2 + b^2 = 1.$$ベクトルを実験室と結びつける規則は、マックス・ボルンが提案し、フォン・ノイマンが整えたもので、各結果の確率は対応する成分の二乗である。$a = \frac35$、$b = \frac45$ とすると、 $$P(\uparrow) = \left(\tfrac35\right)^2 = \tfrac{9}{25} = 36\%, \qquad P(\downarrow) = \left(\tfrac45\right)^2 = \tfrac{16}{25} = 64\%.$$ベクトルの長さが 1 だという条件 $a^2 + b^2 = 1$ は、確率の和が 100% になることを述べるピタゴラスの定理である。 測定とは射影である 測定の後、系は $\psi$ にとどまらない。得られた結果に対応する状態、$\mathbf{e}_\uparrow$ か $\mathbf{e}_\downarrow$ に移る。フォン・ノイマンはこれを、ベクトルのある軸への射影として書き、エネルギーや位置のような測定される量を作用素と呼んだ。測定で得られうる値は、これらの作用素の固有値である。実験室の物理が無限次元の線形代数だけで記述されたのはこれが初めてであり、フォン・ノイマンはそのために、今日大学院の数学で教えられる作用素論の多くをつくったのである。 穴のあった証明 1932 年の本の中で、フォン・ノイマンは、量子力学は「隠れた変数」、つまり結果を予測可能にする隠された情報によって補完することはできない、という証明を示した。著者の権威によって、この証明は何十年も受け入れられた。1935 年、ドイツの哲学者で数学者のグレーテ・ヘルマンは、仮定の一つが強すぎることを指摘したが、彼女の論文はほとんど読まれなかった。1966 年になってようやく、物理学者ジョン・ベルが同じ批判を繰り返し、広く知られるようになった。ベルはのちに、ある種の隠れた変数の理論は確かに不可能であることを示したが、それは別の道筋で、別の仮定を用いてのことであり、その後の数十年に実験室で検証された。 練習:状態を規格化するある状態は $\mathbf{e}_\uparrow + \mathbf{e}_\downarrow$ に比例している。長さ 1 のかたちに書き、確率を計算せよ。 $(1, 1)$ の長さは $\sqrt{2}$ なので、状態は $\psi = \frac{1}{\sqrt2}\mathbf{e}_\uparrow + \frac{1}{\sqrt2}\mathbf{e}_\downarrow$ である。各結果の確率は $\left(\frac{1}{\sqrt2}\right)^2 = \frac12$。公平な量子のコインである。
行列式は連立一次方程式を解くために生まれた。1750 年、ガブリエル・クラメルは自分の名がついた公式を発表した。各未知数を、係数からつくった二つの式の比として与える公式である。しかし未知数が多いとき、それらの式を整然と計算する方法がまだなかった。1772 年、アレクサンドル=テオフィル・ヴァンデルモンドとラプラスが、ほとんど同時に、これらの式をそれ自体ひとつの対象として研究した。今日の意味での行列式という言葉は 1812 年にコーシーが定め、いま使われている縦線の記号は 1841 年のアーサー・ケイリーにさかのぼる。 六つの項、三つの組 $3 \times 3$ 行列の行列式には六つの項がある。 $$\begin{vmatrix} a_1 & b_1 & c_1 \\ a_2 & b_2 & c_2 \\ a_3 & b_3 & c_3 \end{vmatrix} = a_1b_2c_3 - a_1b_3c_2 - a_2b_1c_3 + a_2b_3c_1 + a_3b_1c_2 - a_3b_2c_1.$$ラプラスの考えは、これらの項をある行(または列)の成分ごとにまとめることだった。第一列の成分 $a_1$、$a_2$、$a_3$ でくくると $$= a_1(b_2c_3 - b_3c_2) - a_2(b_1c_3 - b_3c_1) + a_3(b_1c_2 - b_2c_1).$$それぞれのかっこは $2 \times 2$ の行列式で、その成分の行と列を消したときに残るものである。この小さな行列式をその成分の小行列式という。 $$= a_1\begin{vmatrix} b_2 & c_2 \\ b_3 & c_3 \end{vmatrix} - a_2\begin{vmatrix} b_1 & c_1 \\ b_3 & c_3 \end{vmatrix} + a_3\begin{vmatrix} b_1 & c_1 \\ b_2 & c_2 \end{vmatrix}.$$符号のチェス盤 符号はチェス盤の模様のように交互に変わる。第 $i$ 行第 $j$ 列の成分には符号 $(-1)^{i+j}$ がつく。
スカラー部分 $a$ とベクトル部分 $v$ をもつどんな四元数 $q = a + v$ も、実数係数の二次方程式を満たす。$v^2 = -\lvert v \rvert^2$ なので(ベクトルを参照)、 $$q^2 = a^2 + 2av + v^2 = a^2 - \lvert v \rvert^2 + 2av,$$したがって $$q^2 - 2a\,q + \lvert q \rvert^2 = 0, \qquad \lvert q \rvert^2 = a^2 + \lvert v \rvert^2.$$複素数 $z$ が $z^2 - 2\operatorname{Re}(z)\,z + \lvert z \rvert^2 = 0$ の根であるのと同じように、四元数は二次の実多項式の根なのである。1853 年の『四元数講義』で、ハミルトンはさらに進み、四元数のある種の線形関数もそれ自身の多項式方程式を満たすことを示し、それを使ってその逆を計算した。 行列では 五年後の 1858 年、アーサー・ケイリーは行列の代数を創始した『行列の理論についての論文』を発表し、そこでこの結果を一般的に述べた。どんな正方行列 $A$ も、自分の固有多項式 $p(\lambda) = \det(\lambda I - A)$ をゼロにする。ケイリーは $2 \times 2$ の場合を確かめ、$3 \times 3$ の場合も検証したと書いたが、一般の場合を証明する手間はとらなかった。最初の完全な証明は 1878 年のフェルディナント・ゲオルク・フロベニウスによる。定理はケイリーとハミルトンの名をもつ。