Hero Image
等号は天秤であって矢印ではない

□ に入る数は何でしょうか。 $$8+4=\square+5$$1990 年代の終わり、アメリカの研究者カレン・フォークナー、リンダ・リーヴァイ、トマス・カーペンターは、1 年生から 6 年生の子どもたちにこの問題を出しました。どの学年でも、$7$ と答えたのは十人に一人もいませんでした。いちばん多かった答えは $12$ と $17$ でした。 $12$ と答えた子は、$8+4$ を計算して、いつものように $=$ のあとに答えを書きました。$17$ と答えた子は、見えた数を全部たしました。どちらのグループも計算はまちがえていません。等号の読み方をまちがえたのです。 矢印か、天秤か 多くの生徒にとって、$=$ は「答えは」という意味です。電卓が教える読み方です。$8$、$+$、$4$ と押して $=$ のキーを押すと、電卓は計算をして答えを表示します。この読み方では、等号は矢印です。左に問い、右に答えがあり、計算は一方向にしか進みません。 けれども、レコードが 1557 年にかいたのはそういうものではありませんでした。同じ長さの二本の平行線は、二つのものが同じ値をもつと言っているのです。等号は天秤です。皿はつりあっていて、どちらが左にあってもかまいません。 両辺はどちらも 12。□ には 7 が入る。7 + 5 = 12 だからである。等式はどちらの向きからも読める。この本のために作成した説明図。 天秤として読めば、答えはすぐに出ます。左の皿の重さは $12$ なので、右の皿も $12$ でなければならず、そのためには $7$ 足りません。□ に $12$ を書くと $8+4=12+5$、つまり $12=17$ になり、天秤はかたむいてしまいます。 天秤の読み方は、$7=3+4$ が $3+4=7$ と同じように正しい理由も、$3+4=5+2$ が「答え」をまったくふくまないのに完全に正しい文である理由も説明してくれます。数学のことばで言えば、等号は対称な関係です。$A=B$ なら $B=A$ なのです。

Hero Image
場所がアルゴリズムになるとき:かけ算と比例

前の記事で、記号の位置が式の意味の一部であることを見ました。かっこや指数や分数の横線は、部品がどう組み合わさるかを示しています。この考えを極端までおしすすめた計算法があります。それぞれの数を書く場所そのものがアルゴリズムになっているのです。数をどこに置くかを知っている人は、もう計算のしかたを知っています。このサイトの以前の記事は、三つの時代から三つの例を集めていました。 エジプト人:倍にしてかける 3500 年以上前、エジプトの書記たちは九九表なしでかけ算をしていました。二つの列を使います。左には $1$ から始まる $2$ の累乗、右には一方のかける数を、毎回倍にして書きます。$21\times37$ を計算してみましょう。 1 を倍に 37 を倍に ✓ $1$ $37$ $2$ $74$ ✓ $4$ $148$ $8$ $296$ ✓ $16$ $592$ 左の列で、たすと $21$ になる行に印をつけます:$16+4+1=21$。右の列では、印のついた行だけをたします:$592+148+37=777$。これで $21\times37=777$ です。 魔法のように見えます。このサイトの以前の記事も「これは神秘主義か?」と問うていました。そうではありません。左の列の印は、$21$ を二進法で書いているのです。 $$21=1\cdot2^4+0\cdot2^3+1\cdot2^2+0\cdot2^1+1\cdot2^0=10101_2,$$そして計算は分配法則にすぎません:$21\times37=(16+4+1)\times37$。エジプトの書記たちは、ライプニッツがそれについて書く三千年以上も前に、二進法の算術をしていたのです。彼らの表は一つの記法です。✓ のついた行とつかない行が、1 と 0 なのです。 パチョーリ:窓でかける 1494 年、フランシスコ会の修道士ルカ・パチョーリは、ヴェネツィアで『算術、幾何、比および比例大全』を出版しました。商人が知っておくべきことをすべて集めた百科事典です。かけ算のいろいろな方法の中で、彼は対角線で区切った格子の中で行う方法を教え、その名前をこう説明しています。 ゲロジアとは、ご婦人の住む家の窓によく取りつけられている、あの格子のことである。 — ルカ・パチョーリ『算術大全』(1494) gelosia(ゲロジア)は、外から見られずに通りを見られる木の格子窓でした。計算の形が、その格子に似ていたのです。 ゲロジアで計算する 23 × 12。各マスには上の数字と右の数字の積が入る。対角線にそってたすと 0、2、7、6 と読める。このサイトの以前の記事をもとに、この本のために作成した説明図。 $23$ の各けたを上に、$12$ の各けたを右に書きます。それぞれのマスには、交わる二つの数字の積を、十の位を対角線の上に、一の位を下に書きます:$1\times2=02$、$1\times3=03$、$2\times2=04$、$2\times3=06$。それから、ななめの帯にそって下から順にたします:$6$、$4+0+3=7$、$0+0+2=2$、$0$。答えは $0276$、つまり $23\times12=276$ です。 秘密はまたしても場所にあります。ゲロジアのななめの帯は位なのです。一本目が一の位、二本目が十の位、三本目が百の位。学校の筆算が「くり上がり」と、一行ごとに左へずらすことでしていることを、格子がひとりでにやってくれるのです。このサイトの以前の記事は、同じ計算を位の表でも示していました。 部分積 百の位 十の位 一の位 $20\times10$ $2$ $0$ $0$ $3\times10$ $0$ $3$ $0$ $20\times2$ $0$ $4$ $0$ $3\times2$ $0$ $0$ $6$ 合計 $2$ $7$ $6$ 九九表の対角線 九九表を $10\times10$ の格子として書くと、上の角から下の角へ向かう対角線には $1, 4, 9, 16, 25,\ldots$ が並びます。それぞれの数に自分自身をかけた積、つまり平方数です。逆に読めば、対角線はそれぞれの正方形の辺を教えてくれます。この本の最初の記事の radix quadrati です。$49$ の平方根は、対角線上の $49$ がある行と列の、格子の端に書かれた数なのです。

Hero Image
式の文法:括弧、順序、空白

2019 年、四つの数だけでできた計算が SNS で広まり、何百万もの議論を引きおこしました。 $$8\div2(2+2)=\;?$$半分の人は $16$ と答え、残りの半分は $1$ と答えました。電卓もメーカーによって答えがちがいました。数学の先生たちの意見も分かれました。そしていちばんおもしろいのは、どちらも正しかったことです。それぞれが一つの約束ごとに従っていたのです。 $16$ と答える人は左から右へ読みます。$8\div2=4$、$4\cdot(2+2)=16$。$1$ と答える人は、記号なしで「くっついた」かけ算 $2(2+2)$ をひとかたまりと考え、わり算より先に計算します。$8\div(2\cdot4)=1$。どちらの約束ごとも実際にあり、まじめな本でも使われています。問題は計算ではなく統語論にあります。記号がどう組み合わさるのかがはっきりしない書き方をしてしまったのです。数学者ならこうは書きません。$\frac{8}{2}(2+2)$ か $\frac{8}{2(2+2)}$ と書くでしょう。そうすれば争いは起きなかったはずです。 同じ部品、ちがう組み立て 式は記号の行列ではありません。組み立てであり、組み立て方も意味の一部なのです。比べてみましょう。 $$a+b\cdot c\qquad\text{と}\qquad(a+b)\cdot c.$$部品は同じです。文字が三つ、$+$ が一つ、$\cdot$ が一つ。けれどもふつうの約束では、一つ目はかけ算を先にし、二つ目はかっこがあるのでたし算を先にしなければなりません。$a=2$、$b=3$、$c=4$ とすると、 a = 2、b = 3、c = 4 のとき、二つの組み方は 14 と 20 になる。この本のために作成した説明図。 かっこは不思議な記号です。どんな量も、演算も、対象も表しません。ほかの記号がどう結びつくかを言うだけです。モリスの分類でいえば、純粋に統語論的な記号です。それなのに、結果を変えてしまうのです。 かけ算をたし算より先にするという規則は、自然の法則ではありません。17 世紀から 19 世紀にかけて定着した約束ごとで、デカルトの代数が多項式でかっこを省くようになったころのものです。$3x^2+2x+1$ を $(3\cdot(x^2))+(2\cdot x)+1$ と書きたい人はいません。この約束ごとは、いちばんよく使う式が短くなるようにあるのです。 隠れた木 どんな式にも木の構造があり、式を読むとは、つまるところその木を組み立て直すことです。$2(x+3)^2$ を見てみましょう。 2(x + 3)² の組み立て方(クリックで進む) いちばん「内側」から始める:$x+3$。 結果を 2 乗する:$(x+3)^2$。高いところの小さな指数は、かっこ全体にかかる。 $2$ をかける:$2\,(x+3)^2$。左にくっついた $2$ が最後に働く。 次に、部品がほとんど同じ $2x+3^2$ と比べてみましょう。こちらでは $3^2$ が単独で計算され、$2x$ は別の枝で、最後にたし算が二つを結びます。$x=1$ のとき、一つ目の式は $2\cdot16=32$、二つ目は $2+9=11$ になります。

Hero Image
対象とその表現:分数の場合

五という数は、$5$、$\text{V}$、「五」、five、二進法の $101$、あるいはノートに引いた五本の線でも書けます。書き方は変わっても、数は同じです。ここまでは驚くことは何もありません。 驚きは、こう問うたときにやってきます。では、五という数はいったいどこにあるのか。紙の上ではありません。紙の上にあるのは書き方だけだからです。五個のりんごの中でもありません。りんごには色も重さもにおいもありますが、数にはそのどれもないからです。五という数の「本人」を見た人はいませんし、これからも見ることはないでしょう。私たちに見えるのは、その表現だけなのです。 数学がどのように学ばれるかを何十年も研究したフランスの心理学者・哲学者レイモン・デュヴァルは、この問題に名前をつけました。 数学の対象は、物理的世界の対象のように知覚によって近づくことができない。私たちは表現を通じてしかそれに近づけない。それでも、対象をその表現のどれとも混同してはならない。 — レイモン・デュヴァル、数学の「認知的パラドックス」について(2006、意訳) 生物学なら、カエルの写真を疑う人は池に行ってカエルを見ればよい。数学には池がありません。だから数学を学ぶことは、かなりの部分、ちがう表現の中に同じ対象を見分けることを学び、しかもそのどれとも対象を混同しないことを学ぶことなのです。 一つの分数、たくさんの読み方 $\frac12$ を見てください。何が見えますか。線と二つの数字でしょうか。わり算でしょうか。半分に割ったチョコレートでしょうか。数直線の $0$ と $1$ のあいだの一点でしょうか。 場面 $\frac12$ の読み方 二つの等しい部分に切ったピザ 全体のうちの一つの部分 1 リットルのジュースを二人で分ける 商 $1\div2$:一人半リットル 数直線 $0$ と $1$ のちょうどまんなかの数 「30 人の生徒の半分」 作用するもの:$\frac12$ をかける 「シュート二本につきゴール一本」 二つの量のあいだの比 どの読み方も正しく、どれも同じ数を指しています。けれども、それぞれが数の別の部分を照らしているのです。全体の一部という読み方では、全体が何かを知る必要があります。小さな板チョコの半分と大きな板チョコの半分は、同じ分数でも、ちがう量のチョコレートです。 どちらの棒の半分も割合は同じだが、量は基準になる単位によって変わる。この本のために作成した説明図。 数える者と、名づける者 分数の各部分の名前そのものに、記号論の教えがふくまれています。分母(denominator)はラテン語の denominare(名づける)から来ていて、下の数は、それがどんな種類の部分なのか、二分の一なのか三分の一なのか四分の一なのかを言います。分子(numerator)は numerare(数える)から来ていて、上の数は、その部分がいくつあるかを言います。$\frac34$ では、$4$ が名前を与え(四分の)、$3$ が数えます(三つ)。私たちの言い方そのままです。「四分の三」。 二つを分ける横線にも歴史があります。インドの数学者は、ある数の上にもう一つの数を書くだけで、線は引きませんでした。北アフリカのアラブ人が 12 世紀ごろに横線を加え、ピサのレオナルドはそれを彼らから学びました。1202 年の『算盤の書』で、彼はこのサイトの以前の記事がよく引用していた定義を書いています。 ある数の上に線が現れ、その上に別の数が書かれているとき、上の数は下の数に対する比を表す。下の数は分母、上の数は分子と呼ばれる。 — ピサのレオナルド『算盤の書』(1202)、自由訳 「上の数は下の数に対する比」という言い方に注目してください。フィボナッチにとって、分数はすでに比、つまり二つの数のあいだの関係であって、ピザの一切れというだけではなかったのです。斜めの線 $3/4$ が現れたのはずっとあとのことです。1784 年にメキシコの新聞に現れ、1845 年にイギリスのオーガスタス・ド・モルガンが実際的な理由から推しました。印刷された文の一行の中では、横線だと植字工は活字を三段組まなければならないのに、斜線なら一段で収まったのです。場所は得られましたが、わかりやすさは少し失われました。それは式の文法についての記事で見ることになります。 同じ数、四つの書き方 $$\frac12=\frac24=0.5=50\%.$$どの書き方にも得意なことがあります。ピザが四つに切ってあったら $\frac24$ がぴったりです。電卓や、$0.48$ と比べるときには小数 $0.5$ が向いています。銀行の利率のようなほかの百分率と比べるなら、百分率がいちばんです。表現を選ぶことは、すでに問題を解くことの一部なのです。「$\frac38$ と $0.4$ はどちらが大きいか」という問題は、二つの量を同じ書き方にそろえれば簡単になります。 エジプト人と単位分数 3500 年以上前、エジプトの書記アフメスは、今ではリンド・パピルスと呼ばれるパピルスに、今も歴史家を悩ませる一つの表を写しました。エジプト人は、ほとんどすべての分数を、分子が $1$ のちがう分数の和として書いていたのです。彼らにとって $\frac25$ は認められない書き方で、正しくは

Hero Image
パース:イコン、インデックス、シンボル

チャールズ・サンダース・パース(1839–1914)は、化学者であり、天文学者であり、測地学者であり、論理学者であり、哲学者でもありました。合衆国沿岸測量局で三十年にわたって地球の重力を測り、フレーゲとは独立に論理の量化子の記法をつくり、残った時間で 20 世紀にもっとも影響力をもった記号の理論を築きました。彼はペンシルヴェニアの家で貧しく亡くなり、数万ページの手稿を残しました。それは今も編集が続いています。 チャールズ・サンダース・パース(1839–1914)、アメリカの哲学者・論理学者。ナポレオン・サロニー · ニューヨーク公共図書館 · Wikimedia Commons · パブリックドメイン パースは論理学者であり、論理学者のように考えました。彼にとって記号論とは「広い意味での論理学」であり、その考えは数学にぴったりあてはまります。 二つではなく、三つ ソシュールは記号に二つの面、シニフィアンとシニフィエを見ました。パースは三つの要素を見ました。 記号(あるいは表意体):紙の上の $\pi$ という印のように、知覚されるもの。 対象:記号が指し示すもの。円周と直径の比。 解釈項:記号が読む人にもたらす効果、記号が呼びおこす理解。 解釈項は読む人そのものではありません。記号が引きおこす思考であり、その思考がまた新しい記号になって、別の思考を引きおこし、それがまた……と続いていきます。$2+3=5$ を見て、読む人はそれを等式だと認めるかもしれないし、計算の検算に使うかもしれないし、証明の中に組みこむかもしれません。記号は同じでも、解釈項は何をしているかによって変わるのです。パースはこの終わりのない過程を記号過程(セミオーシス)と呼びました。 パースにおける記号・対象・解釈項の関係。ボタンで例を切りかえられる。図は説明のための単純化である。 このインタラクティブな図形を表示するには、JavaScriptを有効にしてください。 イコン、インデックス、シンボル パースのもっとも有名な分類は、記号を対象との結びつき方によって分けるものです。 イコンは類似によって表す。肖像画、地図、図。三角形の図は三角形のイコンである。 インデックスは事実上のつながりによって表す。煙は火を、足あとはだれかが通ったことを示し、矢印はある場所を指す。図の中で頂点のそばに書かれた文字 $A$ はインデックスで、「これだ」と指している。 シンボルは約束ごとや習慣によって表す。言葉、数字、$+$。規則を学んだ人にとってだけ働く。 数学の記号は、一見するとほとんどすべてがパースの意味でのシンボルです。そして驚きはここにあります。 すべての方程式はイコンである パースは、この分類が記号一つずつではなく、式全体にあてはまることに気づきました。方程式の中の記号はシンボルですが、方程式全体はイコンなのです。その形が、量のあいだの関係の形を写しとっているからです。彼はこう書いています。 イコンを特徴づける大きな性質は、それを直接観察することによって、その対象について、イコンを構成するのに必要だった真理以外の真理を発見できることである。[……]すべての代数方程式はイコンである。それ自体はイコンではない代数記号によって、関わっている量の関係を示しているかぎりにおいて。 — チャールズ・S・パース『論文集』2.279 および 2.282(1893–1903 年ごろ) 最初の文は、この本が生きた記法と呼んでいるものの、これ以上ない定義です。書かれたものを見ることで、意図して入れたわけではないことを発見できるとき、その書き方は生きているのです。ライプニッツの連鎖律が完璧な例です。$dy$ が約分されるように $\frac{dz}{dy}\cdot\frac{dy}{dx}$ をかいた人はいません。けれども形はそこにあり、それを見る人は規則を発見するのです。 もう一つ、ずっと古い例を見てみましょう。一辺が $a+b$ の正方形をかき、各辺を $a$ と $b$ の二つに分けます。 $$(a+b)^2 \;=\; \underbrace{a^2}_{\text{大きい正方形}} + \underbrace{ab+ab}_{\text{二つの長方形}} + \underbrace{b^2}_{\text{小さい正方形}} \;=\; a^2+2ab+b^2.$$図はこの恒等式のイコンです。見れば長方形が二つあることがわかり、多くの生徒が忘れてしまう $2ab$ はそこから来ています。式もまた、別の仕方でイコンです。その形を見れば、何もかかなくても、$b$ を $-b$ に置きかえれば $(a-b)^2=a^2-2ab+b^2$ になることがわかります。

Hero Image
記号とは何か:ソシュール、モリス、マイナス記号

ポルトガル語の leviano(軽薄な)という言葉は、leve(軽い)から来ています。軽薄な人が「軽い」のは、自分のすることの結果を重く考えないからです。詩の中でこの言葉を読む人は、軽やかさと軽薄さの両方を同時に聞きとることができます。このサイトの以前の記事は、これを「記号的に生きた」言葉の例にしていました。言葉は一つ、読みの道は二つ。それこそがこの言葉を豊かにしているのです。 数学でも、ずっと地味な記号に、似たことが起こります。一本の横線がいくつの役目をはたしているか見てください。 $$12-5,\qquad -5,\qquad -(a+b),\qquad -x.$$一つ目では、横線は二つの数のあいだの演算です。$12$ から $5$ を引け、ということです。二つ目では、ある数の名前の一部で、マイナス五です。三つ目では、「かっこの中全体の反対の数をとれ」と言っています。四つ目では「$x$ の反対の数」と言っていて、$x$ が負なら答えは正になるかもしれません。形は同じで、変わるのはそれが占める場所と、となりにあるものです。記号を読むには、その記号だけを見ても足りないのです。 それを考えるのが、記号の研究である記号論です。あるものが、だれかにとって別のものを意味するようになるのはどうしてか、を問います。 ソシュール:シニフィアンとシニフィエ スイスのフェルディナン・ド・ソシュール(1857–1913)はジュネーヴで言語学を教えていましたが、彼を有名にした本を自分で書いたことはありません。彼の死後、二人の同僚が学生たちのノートをまとめ、1916 年に『一般言語学講義』として出版したのです。 フェルディナン・ド・ソシュール(1857–1913)、スイスの言語学者。Wikimedia Commons · パブリックドメイン ソシュールにとって、記号には、一枚の紙の表と裏のように切りはなせない二つの面があります。一方はシニフィアン(記号表現)で、「き」という音や「木」という字のように、聞こえたり見えたりする形です。もう一方はシニフィエ(記号内容)で、その形が呼びおこす概念です。そして二つの結びつきには、自然な理由が何もありません。 シニフィアンとシニフィエを結ぶきずなは恣意的である。 — フェルディナン・ド・ソシュール『一般言語学講義』(1916) 「き」という音は、少しも木に似ていません。ポルトガル語では árvore、英語では tree です。数学の記号のほとんども同じです。$+$ は和に似ていませんし、$7$ には七つの何もありません。第 1 章で見たように、レコードは $=$ を等しさに似せようとさえしましたが、使う人はそれを知らなくてもかまいません。 ソシュールはもう一つ、数学にとってさらに大切な点を強調しました。記号の価値は、体系の中のほかの記号とのちがいによっても決まる、ということです。$6$ が六を意味するのは、一つには $5$ でも $7$ でもないからです。$<$ が「小さい」を意味するのは、$>$ と対立しているからです。体系から切りはなされた記号は、ほとんど何も意味しません。 恣意的だが、自由ではない 恣意的というのは、だれもが好きなように使ってよいという意味ではありません。共同体はたし算に別の記号を選ぶこともできましたが、いったん $+$ を選んだからには、計算の途中でことわりなしにそれを変えることはだれにもできません。自由があるのは約束ごとの起源であって、それを使うには規律が必要なのです。だから数学の本はいつも記号の定義から始まり、新しい記法は、多くの人が同じように読むことを学んだときにだけ根づくのです。 コンマか、ピリオドか ブラジルやヨーロッパの多くの国では $3{,}14$ と書き、アメリカ、イギリス、日本では $3.14$ と書きます。小数点のコンマとピリオドは、スコットランドのジョン・ネイピアが両方を使った 17 世紀から競いあってきました。その結果、これは数学でもっとも恣意的な約束ごとの一つになり、もっとも危険な約束ごとの一つにもなりました。$1.000$ は、リスボンでは千、ニューヨークでは一なのです。 統語論、意味論、語用論 1938 年、アメリカの哲学者チャールズ・モリスは、記号の研究を三つの部分に分けることを提案しました。このサイトの以前の記事も、この分け方を使っていました。 統語論:記号どうしの関係。どの組み合わせが正しくできているか。$3+\times4$ はだめで、$3+4\times2$ はよく、規則はかけ算を先にすると言っている。 意味論:記号と、それが表すものとの関係。$\pi$ はどんな対象を指すのか。円周と直径の比、$3.14159\ldots$ である。 語用論:記号と、それを使う人との関係。先生が黒板に $x^2-5x+6=0$ と書くとき、何を求めているのか。たぶん、方程式をながめて感心することではなく、解を求めることだろう。 文字 $x$ にモリスの分け方をあてはめると、よくわかります。統語論的には、$x$ はどんな式の中でも数の場所を占めます。意味論的には、未知数($x+1=4$ の中)にも、ある集合を動く変数($f(x)=x^2$ の中)にも、座標($x$ 軸の上)にもなります。語用論的には、「$x$ を求めよ」と「$x$ を任意の数とする」は正反対の態度を求めます。前者では探し、後者では何も探さず、一般的に推論するのです。

Hero Image
第1章:参考文献と図版出典

さらに学ぶために Cajori, Florian. A History of Mathematical Notations. 全 2 巻. Chicago: Open Court, 1928–1929. それぞれの記号の起源についての基本文献。この章のほとんどの年代は、この本で確かめられる。 Mazur, Joseph. Enlightening Symbols: A Short History of Mathematical Notation and Its Hidden Powers. Princeton: Princeton University Press, 2014. この本と同じテーマを、わかりやすく書いた歴史。 Ifrah, Georges. The Universal History of Numbers. London: Harvill Press, 1998. 記数法とゼロについて。 Klein, Jacob. Greek Mathematical Thought and the Origin of Algebra. Cambridge, MA: MIT Press, 1968. ディオファントスからヴィエトへの移り変わりについて。 Boyer, Carl B.; Merzbach, Uta C. A History of Mathematics. 第 3 版. Hoboken: Wiley, 2011. Crowe, Michael J. A History of Vector Analysis. Notre Dame: University of Notre Dame Press, 1967. 四元数とベクトルの争いについて。 Maor, Eli. Trigonometric Delights. Princeton: Princeton University Press, 1998. サインと三角法の名前の歴史について。 Grabiner, Judith V. The Origins of Cauchy’s Rigorous Calculus. Cambridge, MA: MIT Press, 1981. バークリー、コーシー、極限について。 Miller, Jeff. Earliest Uses of Various Mathematical Symbols. 1990 年代から更新されているページで、それぞれの記号の知られているかぎり最初の使用例がわかる。 MacTutor 数学史アーカイブ、セント・アンドルーズ大学:アル=フワーリズミー、フィボナッチ、レコード、ヴィエト、ハリオット、オートレッド、ケイリー、ブール、フレーゲ、ペアノの伝記。 このサイトの以前の記事のうち、幾何学、三角法、平方根、二次方程式、対数、導関数、連鎖律、積分、極限、関数、微分方程式、群、行列、ベクトル、四元数についての記事が、この章を書き直す土台になりました。radix quadrati の話、平方完成の図、ラテン語で書いたピタゴラスの定理、斜辺や分・秒の語源、$\Sigma$ から $\int$ への移行、$1=2$ の証明、フックの法則、「熱のカノン」と誤差の伝わり方、logarithmus から $\log$ への略記、導関数と関数の語源、穴のあいた文として関数を読むこと、三角形の動きの群の九九表、四元数とベクトルの争い、そして生きた記法と不毛な記法という考えは、それらの記事から来ています。

Hero Image
ブール、フレーゲ、ペアノ:推論を書く

19 世紀まで、数学の記法は量とそのあいだの演算を書くためのものでした。数学者がいつもしているのに書きとめていなかった、もう一つのことのための書き方がなかったのです。推論です。「もしこうなら、ああなる」「すべての数について」「〜となる数が存在する」。こうしたことは、式と式のあいだで、まだラテン語やフランス語やドイツ語で言われていました。この記事は、推論そのものがどうやって記号を手に入れたかを語ります。 思考の代数 19 世紀、数学は自分自身の内側を見つめはじめました。数とは何か。証明とは何か。それに答えるには、量だけでなく、命題と、命題から命題への手順を書く方法が必要でした。 1854 年、イギリスのジョージ・ブールは『思考の法則』を出版し、推論を代数としてあつかいました。$x$ が「白いもの」を表すなら、$x\cdot x$(白いもののうち白いもの)は $x$ そのものです。そこからブール代数の奇妙な法則が出てきます。 $$x^2=x,\qquad\text{つまり}\qquad x(1-x)=0,$$ブールはこれを「何ものも、ある性質をもつと同時にもたないことはできない」と読みました。一世紀後、$0$ と $1$ の二つの値しかないこの同じ代数が、コンピュータの回路の土台になります。 1879 年、ドイツのゴットロープ・フレーゲはさらに先へ進みました。著書『概念記法』(Begriffsschrift)で、どんな数学の証明でも一歩ずつ表現できる、論理のための完全な言語をつくったのです。並はずれた業績でしたが、その書き方は二次元的でした。命題は横線と縦線にぶらさがり、横だおしになった木の枝のようでした。簡単な式でもページの半分を占めました。同時代の人たちはそれを読めないと感じ、本はほとんど読まれませんでした。 天才的で不毛な記法 フレーゲの考えは生き残りましたが、彼の書き方は生き残りませんでした。フレーゲの仕事の上に築いたバートランド・ラッセルとアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドは、『プリンキピア・マテマティカ』(1910–1913)を、イタリアのジュゼッペ・ペアノの線形の記法で書くことを選びました。『プリンキピア』では、$1+1=2$ に通じる命題が第 1 巻の 379 ページになってようやく現れ、「上の命題はときどき役に立つ」というそっけない注釈がついています。 ∈、∃、∀ 私たちが使う論理記号の多くは、ペアノのおかげです。1889 年、ある要素が集合に属することを言うために、彼はギリシア語 estí(「〜である」)の頭文字であるイプシロンを使いました。$3\in\mathbb{N}$ は「$3$ は自然数である」と読みます。1897 年には、ある性質をもつ要素が存在することを言うために、ひっくり返した E、$\exists$ を使いました。「すべての」を表す $\forall$ はいちばん若い記号です。1935 年、ドイツのゲルハルト・ゲンツェンが、$\exists$ との対称性から、alle(すべて)の A をひっくり返してつくりました。 量化された命題では、量化子、定義域、性質がそれぞれちがう役割をになう。この本のために作成した説明図。 これらの記号を使うと、「すべての実数の 2 乗は 0 以上である」という文は次のようになります。 $$\forall x\in\mathbb{R},\quad x^2\ge 0.$$ただの略記に見えますが、この書き方は、ふつうの言葉が隠しているものを見えるようにします。量化子の順序です。比べてみてください。 $$\forall x\ \exists y:\ y>x \qquad\text{と}\qquad \exists y\ \forall x:\ y>x.$$最初の式は、どの数についても、それより大きい数が存在すると言っていて、これは正しい。二つ目の式は、すべての数より大きい数が存在すると言っていて、これはまちがいです。日本語では、どちらも「いつでももっと大きな数がある」というあいまいな文に収まってしまいます。論理の書き方では、ちがいは記号の位置にあり、一目でわかるのです。 この章が示したこと インドのゼロからゲンツェンの量化子まで、数学の書き方の重要な変化はどれも新しい道を開きました。位取りは計算を紙の上の作業に変え、ヴィエトの文字は手順を対象に変え、ネイピアの対数はかけ算をたし算に置きかえ、ライプニッツの $d$ は連鎖律をひとりでに書かせ、オイラーの $f(x)$ は関数に名前を与えました。ガロアとケイリーの表は動きを記号に変え、行列は連立方程式を一つのものとしてあつかい、ギブズとヘヴィサイドのベクトルはマクスウェルの方程式を四行にし、量化子は命題の構造を見えるようにしました。

Hero Image
微分方程式:アナグラムの法則、∂ と ∇

1676 年、イギリスのロバート・フックは、太陽を観測する器具ヘリオスコープについての本の終わりに、まだ明かしたくない発見のリストを載せました。その一つはこうでした。 $$\textit{ceiiinosssttuv}$$これはアナグラムでした。ラテン語の文の文字をばらばらにして、アルファベット順に並べたものです。ライバルに発見をわたさずに、先取権だけを記録しておく方法でした。二年後の 1678 年、フックはその文を明かします。ut tensio, sic vis、「のびのように、力も」。ばねはのばせばのばすほど、強く引きもどします。今日ではこれを四つの記号で書きます。 $$F=-kx.$$アナグラムは記法のちょうど反対で、隠すための書き方です。式は見せるためにつくられています。同じ法則が、一世紀あまりで一方の極からもう一方の極へ移ったのです。 答えが関数になる問い 質量 $m$ の物体をばねにつけ、引いて手をはなします。各時刻 $t$ に物体はどこにあるでしょうか。フックの法則とニュートンの法則 $F=m\cdot a$ を合わせ、加速度を位置の二階導関数として書くと、 $$m\,\frac{d^2x}{dt^2}=-k\,x$$が得られます。これが微分方程式です。はじめは奇妙に見えます。未知のものが数ではなく、関数、つまり各時刻の位置を教えてくれる規則 $x(t)$ だからです。このサイトの以前の記事は、この種の問いをなぞなぞのように出していました。「二階導関数に自分自身をたすとゼロになる関数 $h$ がある。それは何か。」答えはサインかコサインです。どちらも二回微分すると、符号が変わって自分にもどるからです。 $$\frac{d^2}{dt^2}\cos t=-\cos t.$$ばねの場合、解は $x(t)=A\cos(\omega t)+B\sin(\omega t)$、ただし $\omega=\sqrt{k/m}$ です。レオンハルト・オイラーは 1740 年代に、こうした方程式の家族全体を一度に解く方法を示し、関数についての問いを、ふつうの代数方程式に置きかえました。それができたのは、オイラーの $f(x)$ とライプニッツの $\frac{d}{dx}$ が、すでに関数とその導関数に名前を与えていたからです。関数どうしの方程式には、関数を対象としてあつかえる書き方が必要なのです。 単位も記号である $\omega=\sqrt{m/k}$ ではなく $\omega=\sqrt{k/m}$ が正しいと、どうしてわかるのでしょうか。単位によってです。定数 $k$ は長さあたりの力を測り、$\frac{\mathrm N}{\mathrm m}=\frac{\mathrm{kg}}{\mathrm s^2}$ です。それを質量でわると $\frac1{\mathrm s^2}$、根号をとると $\frac1{\mathrm s}$ になります。コサインの中で時間にかけられるものの単位として、ちょうどぴったりです。コサインの中身は単位のない数でなければならないからです。$\sqrt{m/k}$ なら秒になってしまい、$\cos(\text{秒}\cdot\text{秒})$ は意味をなしません。 この確かめ、次元解析は、1822 年にジョゼフ・フーリエが体系化し、ジェームズ・クラーク・マクスウェルがかぎかっこの書き方を広めました。質量は $[M]$、長さは $[L]$、時間は $[T]$。力は $[F]=[M][L][T]^{-2}$ になります。このサイトの以前の記事は、物理の入試問題の多くがこの方法だけで解けることをよく強調していました。記号論の観点から見ると、単位は数にくっついた二層目の記号であり、計算のためではなく確かめるための層です。単位が合わない式は、計算する前からまちがっているのです。 ∂ と竪琴 ある量が、気体の体積が温度 $T$ と圧力 $P$ に依存するように、同時にいくつもの量に依存するとき、ライプニッツの導関数にはことわり書きが必要になります。「$P$ を固定したまま、$T$ について微分する」。1786 年、フランスのアドリアン=マリ・ルジャンドルは、こうした偏導関数のために丸い $d$、$\partial$ を提案しましたが、すぐにやめてしまいました。1841 年、ドイツのカール・ヤコビがそれを復活させ、今度は定着しました。これを使うと、体積の全変化は

Hero Image
ハミルトン、ギブズ、ヘヴィサイド:矢印の戦争

1843 年 10 月 16 日、アイルランドのウィリアム・ローワン・ハミルトンは、妻とダブリンのロイヤル運河ぞいを散歩しているとき、十五年も彼を苦しめていた問題を突然解きました。彼はポケットからナイフを取り出し、ブルーム橋の石に公式を刻みつけました。 $$i^2=j^2=k^2=ijk=-1.$$刻んだ跡はとうに消えましたが、今ではその場所に記念の銘板があり、毎年 10 月 16 日には数学者たちが橋まで歩きます。誕生がこれほどはっきり記録されている記法はめったにありません。 方向を指す数 ハミルトンの問題は、それ以前のある発見から来ていました。1797 年、ノルウェー・デンマークの測量技師カスパー・ヴェッセルは、複素数を平面上の方向として読めることを示しました。$-1$ をかけるのは回れ右($180^\circ$)、ヴェッセルが $\varepsilon$ と呼び今は $i$ と呼ぶ虚数単位をかけるのは四分の一回転($90^\circ$)です。そして二つの方向の積の角度は、角度の和になります。 $$i\cdot i=-1\quad\text{なぜなら}\quad 90^\circ+90^\circ=180^\circ.$$これは、角度で起きるネイピアの対数と同じ奇跡です。かけ算がたし算になるのです。ハミルトンは同じことを三次元の空間でやりたいと考えました。何年も三つの部分からなる数 $a+bi+cj$ で試みましたが、計算がどうしてもつじつまが合いませんでした。あの日、橋の上で見つけた答えは、四つの部分 $q=a+bi+cj+dk$ を受け入れ、さらに一見ばかげたこと、つまりかけ算の順番が意味をもつことを受け入れることでした。 $$ij=k,\qquad ji=-k.$$ガロアの表と同じ驚きが、今度は数で起きたのです。ハミルトンは自分の生みだしたものを四元数(quaternion)と呼びました。ラテン語の quaternio、「四つ組」から来ています。 スカラー、ベクトル、ヴァーサー ハミルトンは名前をつけるのがうまい人でした。1846 年の論文で、彼は四元数を二つの部分に分け、それぞれに名前をつけました。 代数的に実である部分は、スカラー部分、あるいは単に四元数のスカラーと呼ぶことができる。[……]代数的に虚である部分は、幾何学的には一本の直線で作られ、一般に空間の中で決まった長さと決まった方向をもつので、ベクトル部分、あるいは単に四元数のベクトルと呼ぶことができる。 — ウィリアム・ローワン・ハミルトン『フィロソフィカル・マガジン』(1846) スカラー(scalar)は scala(はしご、目盛りのついた定規)から来ていて、目盛りの上に記される数です。ベクトル(vector)は vehere(運ぶ)から来ていて、ある点を別の点へ「運ぶもの」です。のちにハミルトンは、のびちぢみせずに回転だけする四元数をヴァーサー(versor、vertere「回す」から)と呼びました。三つの言葉はどれも、四元数がすたれたあとも生き残りました。 記法の戦争 ハミルトンとスコットランド人の弟子ピーター・ガスリー・テイトは、物理学全体を四元数で書き直そうとしました。1860 年代に電気と磁気を統一しつつあったジェームズ・クラーク・マクスウェルは、興味をもって見ていましたが、疑いもいだいていました。電場を記述するには三つの部分 $bi+cj+dk$ で十分で、スカラー部分はじゃまになるだけだったのです。理論を発表した 1865 年の論文で、マクスウェルは電磁気の方程式を成分ごとに書きました。二十の未知数についての二十の方程式です。1873 年の『電気磁気論』では、四元数の記法を一部使いましたが、全面的には採用しませんでした。 二人の人物が、示し合わせることなく、同時にこの問題を解決しました。アメリカでは、物理学者ジョサイア・ウィラード・ギブズが 1881 年から 1884 年にかけて、学生のために自費で小冊子『ベクトル解析要論』を印刷しました。イギリスでは、すべてを独学で身につけた電信技師オリヴァー・ヘヴィサイドが、雑誌『エレクトリシャン』の誌面で同じことをしました。二人とも四元数のスカラー部分を捨ててベクトルだけを残し、それぞれ独自の記号をもつ二種類の積をつくりました。 $$\begin{aligned}\vec a\cdot\vec b&\quad\text{内積:数になる;}\\ \vec a\times\vec b&\quad\text{外積:ベクトルになる。}\end{aligned}$$この記法で、マクスウェルの二十の方程式は四つに収まりました。 $$\begin{aligned} \nabla\cdot\vec E&=\frac{\rho}{\varepsilon_0}, & \nabla\times\vec E&=-\frac{\partial\vec B}{\partial t},\\ \nabla\cdot\vec B&=0, & \nabla\times\vec B&=\mu_0\vec J+\mu_0\varepsilon_0\frac{\partial\vec E}{\partial t}. \end{aligned}$$おそらく物理学における生きた記法のいちばん劇的な例でしょう。内容はマクスウェルのものと同じですが、今では電場と磁場の対称性が一目でわかります。$\nabla\cdot$ をふくむ二つの式(左)と、$\nabla\times$ をふくむ二つの式(右)です。この対称性を見つめるところから、アインシュタインをふくむ 20 世紀はじめの物理学者たちは、相対性理論へつながる問いを立てはじめたのです。

Hero Image
ガロアとケイリー:数でないものの代数

1832 年 5 月 30 日の未明、パリで、二十歳の青年が夜通し書きものをしていました。エヴァリスト・ガロアは夜明けに決闘の約束があり、おそらく生きのびられないとわかっていました。彼は友人オーギュスト・シュヴァリエに長い手紙を書き、科学アカデミーに退けられたり紛失されたりした自分の考えをまとめ、それをヤコビとガウスに見せてほしいと頼みました。「定理が正しいかどうかではなく、その重要性について」意見を求めてほしい、と。ある手稿の余白には、のちに有名になる一文を残しています。 この証明には補わなければならないところがある。私には時間がない。 — エヴァリスト・ガロア、手稿の余白の書きこみ(1832) ガロアは決闘で傷を負い、翌日亡くなりました。彼の論文は 1846 年になってようやくジョゼフ・リウヴィルによって出版され、理解されるまでにさらに何十年もかかりました。それは何世紀にもわたる問いに答えるものでした。2 次、3 次、4 次の方程式には二次方程式の解の公式のような累乗根を使った公式があるのに、5 次の方程式には一般にそれがないのはなぜか。26 歳で結核のため亡くなったノルウェーのニールス・ヘンリック・アーベルは、1824 年にすでに、5 次には一般的な公式が存在しないことを証明していました。ガロアはなぜなのかを説明し、そのために新しい考えを発明しました。群です。 動きの代数 ガロアの考えは、方程式より図で見るほうがわかりやすいでしょう。紙で正三角形を切りぬき、頂点に $1$、$2$、$3$ と番号をつけ、紙の上にその輪郭をかきます。三角形を持ち上げて、輪郭にぴったり戻す方法は何通りあるでしょうか。六通りです。そのまま置く、三分の一回転させる、三分の二回転させる、あるいは三本の対称軸のどれかを軸にして裏返す。 正三角形を輪郭に戻す六つの方法:そのまま、二つの回転、三つの裏返し。数字は、それぞれの頂点がどこへ行ったかを示す。このサイトの以前の記事をもとに、この本のために作成した説明図。 このサイトの以前の記事は、これらの動きを $M_1,\dots,M_6$ と呼び、「$M_j$ をしてから $M_i$ をする」ことを $M_i\star M_j$ と書いていました。二つの動きを続けて行うと、結果はいつも同じリストの中の三つ目の動きになります。これが、それらが群をなす理由です。組み合わせはすべて一つの表に収まり、サイトではそれを群の九九表と呼んでいました。 $$\begin{array}{c|cccccc} \star & M_1 & M_2 & M_3 & M_4 & M_5 & M_6\\ \hline M_1 & M_1 & M_2 & M_3 & M_4 & M_5 & M_6\\ M_2 & M_2 & M_3 & M_1 & M_5 & M_6 & M_4\\ M_3 & M_3 & M_1 & M_2 & M_6 & M_4 & M_5\\ M_4 & M_4 & M_6 & M_5 & M_1 & M_3 & M_2\\ M_5 & M_5 & M_4 & M_6 & M_2 & M_1 & M_3\\ M_6 & M_6 & M_5 & M_4 & M_3 & M_2 & M_1 \end{array}$$(行があとで行う動き、列が先に行う動きです。)記号論の観点から何が起きたかを見てください。三角形を回したり裏返したりという物理的な動きが記号になり、動きを組み合わせることが表を読むことになったのです。もう三角形を思い浮かべる必要はありません。表が仕事をしてくれます。

Hero Image
コーシーと極限:無限に小さいものをどう書くか

このサイトの以前の記事は、この話題を一つの冗談から始めていました。二つの等しい数 $a=b$ をとり、害のなさそうな計算をしてみます。 $$\begin{aligned} a&=b\\ a^2&=ab\\ a^2-b^2&=ab-b^2\\ (a+b)(a-b)&=b(a-b)\\ a+b&=b\\ 2b&=b\\ 2&=1. \end{aligned}$$まちがいはどこでしょうか。四行目から五行目に移るとき、両辺を $a-b$ でわりました。でも $a=b$ なので $a-b=0$ で、ゼロでわってしまったのです。書き方が罪を隠しています。$a-b$ はふつうの数のように見え、最初の行を覚えている人だけが、それがゼロだと気づくのです。変装したゼロでのわり算は、数学者が不定形と呼ぶもの、有名な $\frac00$ のいちばん簡単な形です。 微積分が残した問題 ニュートンとライプニッツの微積分は、ゼロであると同時にゼロでない量に支えられていました。$x^2$ を微分するのに、ライプニッツは $\frac{(x+dx)^2-x^2}{dx}=2x+dx$ を計算し、それから $dx$ をゼロであるかのように「無視」しました。けれども $dx$ がゼロなら、二行前でそれでわることはできなかったはずです。うまくいくのに、なぜなのかだれにも説明できませんでした。 1734 年、アイルランドの主教ジョージ・バークリーは『解析家』という激しい攻撃文を出版しました。宗教的な信仰をあざ笑いながら、それよりはるかに奇妙なものを信じている「不信心な数学者たち」に向けたものです。 では、この流率とは何か。消えゆく増分の速さである。では、その消えゆく増分とは何か。それは有限の量でも、無限に小さい量でも、無でもない。それを死んだ量の亡霊と呼んではいけないだろうか。 — ジョージ・バークリー『解析家』(1734) バークリーは論理については正しく、微積分についてはまちがっていました。計算はうまくいっていました。欠けていたのは、それが何をしているのかを言う言語だったのです。 コーシー:到達せずに近づく その言語はフランスからやってきました。1821 年、オーギュスタン=ルイ・コーシーはエコール・ポリテクニークの『解析教程』を出版し、中心となる考えを言葉で定義しました。 同じ変数に次々と与えられる値が、ある固定された値に限りなく近づき、ついにはそれとの差を望むだけ小さくできるとき、その固定された値を、ほかのすべての値の極限と呼ぶ。 — オーギュスタン=ルイ・コーシー『解析教程』(1821) 秘密は「望むだけ小さく」にあります。$dx$ は決してゼロにはならず、いくらでも近くにとどまるのです。数十年後、ドイツのカール・ヴァイエルシュトラスはこの文を文字に置きかえました。どんなに小さくても、あらゆる誤差の幅 $\varepsilon>0$ に対して、近さを保証する距離 $\delta>0$ が存在する。これが有名な「イプシロン・デルタ」の定義で、今でも大学一年生を恐れさせています。 $$\begin{aligned}\lim_{x\to a}f(x)=L\iff{}&\forall\varepsilon>0\ \exists\delta>0:\\ &0<|x-a|<\delta\Rightarrow|f(x)-L|<\varepsilon.\end{aligned}$$記号 $\forall$(すべての)と $\exists$(存在する)に注目してください。論理学の記事でくわしく見ることになりますが、推論の書き方が微積分のために使われているのです。無限に小さいものは、ものであることをやめ、約束になりました。どんな $\varepsilon$ でもいい、言ってくれれば $\delta$ を見つけてみせる、という約束です。 lim、矢印、そしてそれらが隠すもの 記法にも時間がかかりました。1786 年、スイスのシモン・リュイリエが「極限」の略記としてピリオドつきの lim. を書きました。lim の下の小さな矢印 $x\to a$ が広まったのは 20 世紀のはじめで、おもにイギリスの G・H・ハーディの本『純粋数学教程』(1908)のおかげでした。最終的な書き方は、簡潔で生きています。