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最速降下線:1696 年の挑戦

鉛直な平面上に二点 A と B が与えられたとき、動く物体 M が自分の重さだけで降りて、A から B へ最も短い時間で移る曲線 AMB を求めよ。 — ヨハン・ベルヌーイ『学術紀要』(1696 年 6 月) 1696 年 6 月、ヨハン・ベルヌーイは『学術紀要』で「全世界の最も鋭敏な数学者たち」に挑戦しました。問いは遊園地の話のようです。二点のあいだでいちばん速いすべり台はどんな形か。問題の名はギリシャ語から来ています。brachistos は最も短い、chronos は時間。最速降下線、最短時間の曲線です。 ヨハンは六か月の期限を与え、自分はもう答えをもっていると告げました。だれにでも向けた挑戦でしたが、ねらいは二人でした。公然と戦争中だった兄ヤコブと、ライプニッツの友人たちが微積分を盗んだと非難していたアイザック・ニュートンです。 答えは直線ではない 直線は 最も短い 道ですが、最も速い 道ではありません。摩擦なしにすべる球は、落ちるにつれて速くなります。だから、道が長くなっても、最初に急に降りて早めに速さを得るほうが得なのです。一方で、極端に急降下すると道がのびすぎます。最善の道はその折り合いで、それを見つけることは、無数にありうる曲線のなかから曲線をまるごとひとつ見つけることです。 $x$ を水平、$y$ を 下向き にとり、出発点を $A=(0,0)$ とします。エネルギー保存から、高さ $y$ だけ落ちたあとの速さは $$\frac12mv^2=mgy\quad\Longrightarrow\quad v=\sqrt{2gy}.$$速さは高さだけで決まり、道すじにはよりません。 ヨハンの考え:球は光線だ ヨハンはすばらしいことを思いつきました。フェルマーは、光がある媒質から別の媒質に移るとき 最短時間の道 をとること、そしてそこからスネルの屈折の法則が出てくることを示していました。 $$\frac{\sin\alpha_1}{v_1}=\frac{\sin\alpha_2}{v_2}.$$ここで $\alpha$ は光線が鉛直となす角、$v$ はそれぞれの媒質での光の速さです。光もまた、できるだけ速く着きたいのです! そこでヨハンは、$A$ と $B$ のあいだの空間を、ガラス板のようなごく薄い水平の層に切り分けることを考えました。各層には下に行くほど大きくなる速さ $v=\sqrt{2gy}$ があります。層を通りぬける光線は、層ごとに折れ曲がります。層を無限に薄くすると光線はなめらかな曲線になり、スネルの法則がどの点でも成り立ちます。 $$\frac{\sin\alpha}{v}=\text{一定}.$$これが曲線の方程式です。$\alpha$ は接線が鉛直となす角なので $\sin\alpha=\dfrac{1}{\sqrt{1+y'^2}}$。$v=\sqrt{2gy}$ を代入して二乗すると、 $$\boxed{\ y\left(1+y'^2\right)=2a\ }$$となります。$a>0$ は定数です。 答え:サイクロイド ヨハンはこの方程式に見覚えがありました。サイクロイド、つまり直線の上を転がる車輪のふちの一点が描く曲線を、ここでは上下逆さにしたものです。半径 $a$ の車輪が角 $\theta$ だけ回ったとき、 $$x=a(\theta-\sin\theta),\qquad y=a(1-\cos\theta).$$確かめましょう。導関数を割ると $y'=\dfrac{\sin\theta}{1-\cos\theta}=\cot\dfrac\theta2$ で、$1-\cos\theta=2\sin^2\dfrac\theta2$ なので、

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驚異の螺旋とレムニスケート

ライプニッツの微積分を手にしたベルヌーイ兄弟は、曲線狩りに出かけました。曲線ごとに問います。接線はどうか、長さは、面積は、曲率は?こうした曲線の多くはギリシャ人のころから知られていましたが、これらの問いに一般的な規則で答えられるようになったのはこのときからです。そのうち二つの曲線は、永遠にヤコブの名を帯びることになりました。 形の変わらない螺旋 対数 螺旋は、すでにデカルトやトリチェリが研究していました。各点を中心からの距離 $r$ と角 $\theta$ で表す極座標では、 $$r=a\,e^{b\theta}$$です。ひと回りするたびに角は $2\pi$ 増え、半径はいつも同じ倍率 $e^{2\pi b}$ で大きくなります。だから巻きの間隔は等しくありません。どの巻きも、前の巻きより同じ割合で大きいのです。 ここから、ヤコブを魅了した性質が出てきます。螺旋を角 $\alpha$ だけ 回転 させることは、$e^{b\alpha}$ 倍に 拡大 することと同じ効果をもちます。この螺旋の写真を拡大すると、回転しただけの同じ螺旋が現れます。どの縮尺でも自分自身と同じなのです。 左は、ヤコブが墓に望んだ対数螺旋。ひと巻きごとに前より広くなる。右は、石工が刻んだアルキメデスの螺旋。巻きの間隔が等しい。Euler’s Eyes 作図 一定の角 螺旋上の一点で、中心から来る半径と曲線の接線は角 $\psi$ をなします。角 $\theta$ がほんの少し $d\theta$ だけ増えると、その点は半径に垂直な方向に $r\,d\theta$、半径に沿って $dr$ 動きます。したがって $$\tan\psi=\frac{r\,d\theta}{dr}=\frac{r}{dr/d\theta}=\frac{r}{b\,r}=\frac1b.$$$r$ が消えます。角は すべての 点で同じです。そのためこの曲線は 等角螺旋 とも呼ばれます。ランプに対していつも一定の角度を保って飛ぶ虫は、蛾が月に対してそうするといわれるように、こうした螺旋を描いて、最後にはランプに落ちてしまいます。 ヤコブはさらに発見しました。螺旋の曲率中心がつくる曲線は、最初のものと同じ対数螺旋です。中心から出て螺旋で反射した光線も、また同じ螺旋をつくります。どこを見ても、曲線は同じ姿でよみがえりました。彼はこれを spira mirabilis、驚異の螺旋 と名づけました。 オウムガイの殻の断面。ひと巻きごとに部屋がほぼ同じ割合で大きくなり、対数螺旋に近い形をつくる。Florian Elias Rieser · Wikimedia Commons · CC BY-SA 4.0 自然もこの曲線を同じ理由で好みます。オウムガイのように形を変えずに層を足して成長する生き物は、対数螺旋の殻をつくります。多くの銀河の腕や台風の雲も、似た形をしています。 Eadem mutata resurgo ヤコブは螺旋に復活の象徴を見ました。からだは変わっても、人は同じものとしてよみがえる。だから彼は、Eadem mutata resurgo、「変わりながらも、私は同じものとしてよみがえる」という銘とともに、それを墓に刻んでほしいと頼んだのです。石工が刻んだのはアルキメデスの螺旋で、これにはその性質がありません。拡大すると巻きの間隔が広がり、曲線が変わってしまいます。まちがった墓石は今もバーゼル大聖堂にあります。 レムニスケート:横倒しの 8 1694 年、ヤコブは『学術紀要』の論文で新しい曲線を示しました。二つの定点、焦点 $F_1=(-c,0)$ と $F_2=(c,0)$ をとります。楕円では、点から焦点までの距離の 和 が一定です。ヤコブは和を 積 に置きかえました。

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積分記号 ∫:和から累積へ

1675 年 10 月 29 日、ライプニッツはパリで面積の問題に取り組んでいました。それまで彼は、イタリアのカヴァリエリにならって、図形のすべての線の和を表すのに omn.(ラテン語 omnia「すべて」の略)と書いていました。ページの途中で、彼はこう書きました。 omn. のかわりに ∫ と書くと便利だろう。 — ライプニッツ、1675 年 10 月 29 日の手稿 記号 $\int$ は、summa(和)の頭文字である長い S です。当時、長い s は手書きではふつうの文字でした。それ以来、この記号が取って代わられたことは一度もありません。 薄切りを足し合わせる ライプニッツの考えは、領域をごく細い縦の薄切りに分けることでした。一枚一枚はほとんど高さ $y$、幅 $dx$ の長方形で、面積は $y\,dx$。全体の面積はすべての薄切りの和です。 $$\int y\,dx.$$この記号は一度にすべてを語ります。高さ($y$)に微小な幅($dx$)を掛けたものを全部足せ($\int$)。和の範囲は下と上に書きます。$\displaystyle\int_a^b f(x)\,dx$ は $x=a$ から $x=b$ までの薄切りの和です。 この対話型の図を使うには JavaScript を有効にしてください。議論の全体は本文にあります。 「積分」と名づけたのは誰? ライプニッツは自分の発明を calculus summatorius、つまり和の計算と呼んでいました。積分(integral)という言葉は 1690 年のヤコブ・ベルヌーイの論文に現れました。ライプニッツとヨハン・ベルヌーイはどちらの名前を使うか話し合い、最終的に「積分」に落ち着きましたが、記号はライプニッツの S のままでした。 差を足し合わせると全体に戻る 伝記で紹介した、ホイヘンスがライプニッツに出した問題を覚えていますか? そこでは差の和がほとんど打ち消し合いました。 $$(F_1-F_0)+(F_2-F_1)+(F_3-F_2)+\cdots+(F_n-F_{n-1})=F_n-F_0.$$ある量の小さな変化をすべて足し合わせると、残るのは全体の変化、つまり最後の値から最初の値を引いたものだけです。ライプニッツは、無限に小さな差でも同じことが起こると気づきました。$dF=f(x)\,dx$ なら、 $$\int_a^b f(x)\,dx=\int_a^b dF=F(b)-F(a).$$言いかえれば、$\int$ と $d$ は互いを打ち消し合うのです。足し算と引き算のように。これが微積分の基本定理を、もっとも短く書いたものです。ニュートンは流率の道を通って同じ結論に達しました。

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面積と積分:流率の逆の道

曲線で囲まれた図形の面積を測ることは、数学でもっとも古い問題の一つです。紀元前 250 年ごろ、アルキメデスは放物線の切片の面積が、その中に描いた三角形の面積の $\frac43$ であることを示しました。天才的な成果ですが、いわばオーダーメイドで、新しい曲線ごとに新しいアイデアが必要でした。 17 世紀には、フェルマー、カヴァリエリ、ウォリスらが、多くの $n$ について $y=x^n$ の下の面積をすでに計算できました。欠けていたのは一般的な規則です。そしてもう一つ欠けていたのが、ニュートンとライプニッツがそれぞれのやり方でたどり着いた洞察でした。面積を求めることと変化率を求めることは、互いに逆の操作である。 面積は増えていく量 曲線 $y=f(x)$ の下で、$0$ からある点 $x$ までの面積を考え、$A(x)$ と書きます。右端を $x$ から $x+h$ まで押し広げると、面積は細い帯の分だけ増えます。 この帯はほとんど高さ $f(x)$、幅 $h$ の長方形です。したがって $$A(x+h)-A(x)\approx f(x)\cdot h\qquad\Longrightarrow\qquad\frac{A(x+h)-A(x)}{h}\approx f(x).$$帯が細いほど近似はよくなります。極限をとると、 $$A'(x)=f(x).$$ニュートンの言葉で言えば、面積の流率は曲線の高さです。面積は、高さが与える速さでちょうど増えていきます。面積を求めるには、流率が $f$ になる関数を見つければよい。つまり逆向きにたどればよいのです。 厳密にするには、帯を二つの長方形ではさみます。一つはその区間での $f$ の最小の高さ、もう一つは最大の高さをもつ長方形です。$f$ が連続なら、$h\to0$ のときどちらの高さも $f(x)$ に近づき、帯はその間にはさみ込まれます。 『解析について』の規則 1669 年、ニュートンは『解析について』(De analysi)という短い論文を書きました。その第一の規則は、今日の記号で言えば、$y=ax^{m/n}$ の下で $0$ から $x$ までの面積が $$\frac{an}{m+n}\,x^{(m+n)/n}$$であるというものです。複雑に見えますが、おなじみの規則です。$x^k$ の下の面積は $\dfrac{x^{k+1}}{k+1}$。たとえば $y=x^2$ の $0$ から $2$ まででは、 $$\int_0^2 x^2\,dx=\left[\frac{x^3}{3}\right]_0^2=\frac{8}{3}.$$アルキメデスなら、この数にたどり着くのに一つの証明がまるごと必要でした。この規則なら 1 行です。 面積としての対数 この規則を一般化された二項式と組み合わせて、ニュートンは誰も計算できなかった面積を求めました。双曲線 $y=\dfrac{1}{1+x}$ はべきの和になります。 $$\frac{1}{1+x}=1-x+x^2-x^3+\cdots$$あとは各べきの下の面積を項ごとに求めるだけです。 $$\int_0^x\frac{dt}{1+t}=x-\frac{x^2}{2}+\frac{x^3}{3}-\frac{x^4}{4}+\cdots$$この面積が自然対数 $\ln(1+x)$ です。$x=0.1$ とすると、4 項で $0.0953083$、正しい値は $0.0953102$ です。

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指数計算:x の x 乗を微分する

ライプニッツの微積分は、$x^3$ や $x^{1/2}$ のように指数が決まったべき乗なら微分できました。$x^n$ の導関数は $nx^{n-1}$ です。ところが 1694 年、ライプニッツへの手紙で、ヨハン・ベルヌーイは奇妙なものをもちだしました。 $$y=x^x$$という式です。底 と 指数が同時に変わります。指数が決まっていないので $x^n$ の規則は使えません。底が決まっていないので $a^x$ の規則も使えません。1697 年、ヨハンは『学術紀要』に「指数計算の原理」を発表し、こうしたべき乗の扱い方を示しました。指数がいろいろな値を走りぬけるので、彼はそれを 走るべき (percurrent)と呼びました。 対数のこつ べき乗を、微分のしかたを知っている積に変えるのが考えどころです。$x>0$ として、両辺の自然対数をとります。 $$\ln y=x\ln x.$$両辺を $x$ で微分します。左辺は連鎖律で $\dfrac{y'}y$。右辺は積の微分で $1\cdot\ln x+x\cdot\dfrac1x=\ln x+1$。したがって $\dfrac{y'}{y}=\ln x+1$ で、 $$\boxed{\frac{d}{dx}\,x^x=x^x\,(\ln x+1).}$$関数そのものではなくその対数を微分するこの技法は、対数微分法 と呼ばれるようになりました。$f>0$ の任意の $y=f(x)^{g(x)}$ に使えます。 $$\ln y=g\ln f\quad\Longrightarrow\quad y'=f^{\,g}\left(g'\ln f+g\,\frac{f'}f\right).$$かっこのなかの二つの項は、二つの変化を数えています。指数の変化 $g'\ln f$ と、底の変化 $g\frac{f'}f$ です。底が決まっていれば第一項だけが残って $\frac{d}{dx}a^x=a^x\ln a$ に戻り、指数が決まっていれば第二項だけが残って $nx^{n-1}$ に戻ります。 x の x 乗がいちばん小さくなるところ $x^x$ はいつも正なので、導関数の符号は $\ln x+1$ の符号です。$x<\frac1e$ では負、$x>\frac1e$ では正になります。関数は $x=\frac1e\approx0.368$ まで減り、それから増えます。最小値は $$\left(\frac1e\right)^{1/e}=e^{-1/e}\approx0.692.$$つまり、どんな正の数も、自分自身で累乗して $0.692$ より小さくなることはありません。たとえば $0.5^{0.5}=\sqrt{0.5}\approx0.707$、$0.3^{0.3}\approx0.697$ で、どちらも少し上です。

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推測術:チャンスを数える

あることを推測するとは、その確率を測ることである。それゆえ私たちは、推測術、すなわち確率術を、事物の確率をできるかぎり正確に測る技術と定める。それによって、判断と行動において、よりよく、より満足でき、より安全で、より熟慮されたと思われるものを、いつも選び、したがうことができるように。 — ヤコブ・ベルヌーイ『推測術』(1713)第四部 1654 年、パスカルとフェルマー は、途中で打ち切られた勝負の賭け金をどう分けるかについて手紙をやりとりしました。1657 年には、オランダのクリスティアーン・ホイヘンスがサイコロ遊びの計算についての十五ページの小冊子を出版しました。どれも客間の問題でした。サイコロ、トランプ、賭け。 ヤコブ・ベルヌーイが求めたのは、ずっと大きなものでした。彼にとって確率とは 確実さ の尺度であり、0(不可能)と 1(確実)のあいだの数で、法廷で証言を量り、人がどれだけ生きるかを予測し、保険を評価し、薬が効くかどうかを判断するのに役立つはずのものでした。その方法を示す本を、彼は二十年かけて書きました。題は Ars conjectandi、『推測術』です。 『推測術』の扉。ヤコブの死から八年後の 1713 年、バーゼルで出版された。Wikimedia Commons · パブリックドメイン 四部からなる本 『推測術』は四部からなります。第一部はホイヘンスの本を再録し、原文より長いヤコブの注釈をつけたものです。第二部は 組合せ論 の完全な講義で、順列、組合せ、そしてそのなかに、今ではヤコブの名がついている べき乗の和 があります。第三部はそれらすべてを何十もの遊びに応用します。未完の第四部は、市民生活、道徳、経済における確率を扱い、そこに 黄金の定理 があります。 ベルヌーイ試行 この本のいちばん単純なアイデアが、統計学で最もよく使われるもののひとつになりました。結果が二つしかない実験を考えます。硬貨が表か否か、患者が治るか否か、部品が不良か否か。一方の結果を 成功、その確率を $p$、他方を 失敗、その確率を $q=1-p$ と呼びます。この言葉はただのラベルです。工場では、数える「成功」が不良品の発見かもしれません。 今日、このような実験は ベルヌーイ試行 と呼ばれます。ヤコブの問いはこうです。いつも同じ条件で、ある結果がほかの結果に影響しないようにして試行を $n$ 回くり返すとき、ちょうど $k$ 回成功する確率はいくらか。 公式を一歩ずつ 小さな例から始めましょう。サイコロを 3 回投げ、「成功」は 6 の目、$p=\frac16$ とします。6 がちょうど二回出る確率はいくらでしょうか。 ありうる並びのひとつは 6、6、ほか です。その確率は、各回の確率の積です。 $$\frac16\cdot\frac16\cdot\frac56=\frac5{216}.$$けれども 6 が二回出る順番はほかにもあります。6、ほか、6 と ほか、6、6 です。同じ因数が順番を変えて現れるだけなので、どれも確率は $\frac5{216}$ です。順番は 3 通りなので、 $$P(\text{6 が二回})=3\cdot\frac5{216}=\frac{15}{216}\approx6.9\%.$$順番の数は、どの 回が成功になるかを選ぶ方法の数、つまり 3 回から 2 回を選ぶ数 $\binom32=3$ です。一般に、成功 $k$ 回、失敗 $n-k$ 回の並びはそれぞれ確率 $p^kq^{n-k}$ をもち、そうした並びは $\binom nk$ 通りあります。足し合わせると、

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仮想仕事の原理

どのような力のどのようなつりあいにおいても、力がどのように加えられていようと、正のエネルギーの和は負のエネルギーの和に等しい。 — ヨハン・ベルヌーイ、ピエール・ヴァリニョン宛の手紙(1717 年 1 月 26 日) アルキメデス以来、単純機械にはそれぞれ別の説明がありました。てこは腕の長さの法則にしたがい、斜面はステヴィンが考えた力の分解にしたがい、滑車は綱についての議論に、ねじはまた別の議論にしたがう、というぐあいです。1717 年、ヨハン・ベルヌーイはフランスの友人ピエール・ヴァリニョンへの手紙で、これらの法則がすべて ひとつの原理 の特別な場合であることを示しました。 考え方:ほんの少しだけ動かす つりあって止まっている機械を思いうかべてください。それを、頭のなかだけで、ごくわずかな距離だけ動かします。ただし拘束は守ります。てこは支点のまわりに回り、綱はのびず、ブロックは斜面から離れません。この想像上の変位は、実際には起こらないので 仮想 変位と呼ばれます。 力 $F_i$ がはたらく各点は、力の向きにほんの少し $\delta s_i$ 動きます。積 $F_i\,\delta s_i$ がその力の 仮想仕事 です。ヨハンはこれを エネルギー と呼びました。この言葉が今日に近い意味で現れたのは、これが最初です。原理はこう述べます。 $$\boxed{\ \text{つりあいでは、}\quad\sum_i F_i\,\delta s_i=0\ \text{ がすべての仮想変位について成り立つ。}\ }$$運動を助ける力の仕事は、運動に逆らう力の仕事に等しい。止まっている機械は、無から仕事をつくりだすことはできません。 アルキメデスのてこ てこの支点から距離 $a$ と $b$ のところに、重さ $P_1$ と $P_2$ があります。てこをごく小さな角 $\delta\theta$ だけ回します。$P_1$ の側は $a\,\delta\theta$ 下がり、$P_2$ の側は $b\,\delta\theta$ 上がります。下がる重さは正の仕事を、上がる重さは負の仕事をします。 $$P_1\,a\,\delta\theta-P_2\,b\,\delta\theta=0\quad\Longrightarrow\quad P_1\,a=P_2\,b.$$相似な三角形の図をひとつも使わずに、アルキメデスの法則が出てきます。$\delta\theta$ はただ消えるだけです。 滑車 滑車の組み合わせで、重さ $W$ が $n$ 本の綱で支えられ、人が自由端を力 $F$ で引くとします。重さが $\delta h$ 上がると、$n$ 本の綱はそれぞれ $\delta h$ 短くなり、その分の綱がすべて自由端から出てくるので、自由端は $n\,\delta h$ 動きます。したがって

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黄金の定理:大数の法則

どんなに愚かな人でも、ある自然の本能によって、ひとりで、なんの教えも受けずに、観察を重ねれば重ねるほど的をはずす危険は小さくなると確信している。 — ヤコブ・ベルヌーイ『推測術』(1713)第四部 サイコロなら、それぞれの目の確率は前もってわかっています。$\frac16$ です。けれども、40 歳の男性があと二十年生きる確率は?明日雨が降る確率は?薬が効く確率は?こうした場合には、数えられる同じ面がありません。ヤコブは別の道を提案しました。何度も観察し、頻度を確率の推定に使うのです。40 歳の男性のうち半分が 60 歳まで生きたなら、その確率は半分に近いはずです。 上の引用が言うとおり、だれもがすでにそう考えていました。ヤコブの問いはもっと深いものでした。それは 証明 できるのか。観察の数が増えると、頻度はほんとうに確率に近づくのか、それとも誤差はいつまでも大きいままでありうるのか。実際上の確実さを得るには、何回の観察が必要なのか。彼は答えるのに二十年かかり、その結果をたいへん誇りにして 黄金の定理 と呼びました。 壺 ヤコブは、白い石 3 000 個と黒い石 2 000 個の入った、中の見えない壺で問題を立てました。中をのぞけない人が、白い石の割合、つまり $\frac35$ を知りたいとします。そのために石をひとつ取り出し、色を記録して戻し、これをくり返します。 $n$ 回取り出して白が $S_n$ 回なら、観察された頻度は $\frac{S_n}n$ です。正確な問いはこうなります。頻度が $\frac{29}{50}$ と $\frac{31}{50}$ のあいだ、つまり $\frac35$ との差が $\frac1{50}$ 未満になることが 道徳的に確実、すなわち $\frac{1000}{1001}$ 以上の確率で成り立つには、何回取り出せばよいか。 定理が言うこと ヤコブの答えには二つの部分があります。第一は定性的なものです。どんなに小さな誤差の幅 $\varepsilon$ をとっても、頻度が $p$ から $\varepsilon$ より大きくずれる確率は、$n$ が大きくなると 0 に近づく。今日のことばでは、 $$\boxed{\lim_{n\to\infty}P\left(\left|\frac{S_n}n-p\right|>\varepsilon\right)=0.}$$これが 大数の法則 の最初の形で、この名は 1837 年にポアソンがつけました。第二の部分は数値的なものです。ヤコブは、この壺なら 25 550 回 の取り出しで道徳的確実さに足りると計算しました。 硬貨投げのシミュレーション。はじめは表の割合が大きくゆれるが、数千回投げると 1/2 に近づく。横軸は対数目盛り。Euler’s Eyes 作図 今日の道具による証明 ヤコブの証明は、二項展開の項のあいだの不等式に何章も費やしています。今日では、ロシアのパフヌティ・チェビシェフが 1867 年に発表した不等式を使えば、同じ考えが数行で書けます。

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ベルヌーイ数:千個のべき乗を七分で足す

この表の助けを借りて、最初の千個の数の十乗を足すと 91 409 924 241 424 243 424 241 924 242 500 になることを、私は四半時間の半分もかからずに見つけた。 — ヤコブ・ベルヌーイ『推測術』(1713)第二部 少年 ガウス は、最初の数と最後の数を組にして、1 から 100 までの和を数秒で出したといわれます。$1+2+\cdots+n=\frac{n(n+1)}2$ です。平方や立方の和にも、アルキメデスやアラビアの数学者のころから知られた公式があります。 $$\begin{aligned}1^2+2^2+\cdots+n^2&=\frac{n(n+1)(2n+1)}6,\\ 1^3+2^3+\cdots+n^3&=\left(\frac{n(n+1)}2\right)^2.\end{aligned}$$では四乗、五乗、十乗は?十七世紀には何人もの数学者が、こうした公式をひとつずつ求めてページを埋めていました。フランスのイスマエル・ブイヨーは 1682 年に分厚い本を出しましたが、苦心のすえに六乗までしか届きませんでした。ヤコブ・ベルヌーイは、すべて を与える規則を見つけたのです。 表 『推測術』の第二部で、ヤコブは公式を上から下へ並べ、じっくりながめました。 $$\begin{aligned}\sum_{k=1}^n k&=\tfrac12n^2+\tfrac12n\\ \sum_{k=1}^n k^2&=\tfrac13n^3+\tfrac12n^2+\tfrac16n\\ \sum_{k=1}^n k^3&=\tfrac14n^4+\tfrac12n^3+\tfrac14n^2\\ \sum_{k=1}^n k^4&=\tfrac15n^5+\tfrac12n^4+\tfrac13n^3-\tfrac1{30}n\\ \sum_{k=1}^n k^5&=\tfrac16n^6+\tfrac12n^5+\tfrac5{12}n^4-\tfrac1{12}n^2\end{aligned}$$規則があります。$m$ 乗の和はいつも $m+1$ 次の多項式です。最初の係数は、積分 $\int_0^n x^m\,dx=\frac{n^{m+1}}{m+1}$ と同じく $\frac1{m+1}$。二番目はいつも $\frac12$。そのあとの係数は 二項式 $(n+1)^{m+1}$ の係数に、ある決まった数をかけたもののように見えます。 不思議な数 ヤコブは、今日 $B_0,B_1,B_2,\dots$ と書かれ ベルヌーイ数 と呼ばれる数の列がひとつあれば、すべての公式を一度に書けることに気づきました。 $$\boxed{\sum_{k=1}^n k^m=\frac1{m+1}\sum_{j=0}^{m}\binom{m+1}{j}B_j\,n^{m+1-j}}$$$B_j$ はどう求めるのでしょう。かんたんなこつがあります。公式は $n=1$ でも成り立たなくてはならず、そのとき和はただの $1^m=1$ です。$n=1$ とおくと $n$ のべき乗はすべて 1 になり、 $$\sum_{j=0}^{m}\binom{m+1}{j}B_j=m+1$$が残ります。$B_0=1$ から始めると、$m$ の値ごとに次の数が出てきます。 $m=1$:$1+2B_1=2$、よって $B_1=\frac12$。 $m=2$:$1+3\cdot\frac12+3B_2=3$、よって $B_2=\frac16$。 $m=3$:$1+4\cdot\frac12+6\cdot\frac16+4B_3=4$、よって $B_3=0$。 $m=4$:$1+5\cdot\frac12+10\cdot\frac16+0+5B_4=5$、よって $B_4=-\frac1{30}$。 続けると $B_6=\frac1{42}$、$B_8=-\frac1{30}$、$B_{10}=\frac5{66}$ で、1 より大きい奇数番目はすべて 0 です。これらの数には目に見える規則がありません。$B_{12}=-\frac{691}{2730}$ で、そこから先は急速に大きくなります。

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ヨハン・ベルヌーイの遺産

ヨハン・ベルヌーイは、兄の『推測術』やニュートンの『プリンキピア』のような大著を書きませんでした。いちばん有名な本は他人の名で出ました。彼が残したのは仕事のしかたです。物理や幾何のあらゆる問題を方程式に変え、ライプニッツの微積分で解くこと。そして弟子たちを残しました。 ライプニッツの闘士 微積分を発明したのはニュートンかライプニッツかという争いで、ヨハンはライプニッツ側の最も戦闘的な兵士でした。1713 年のはじめ、ニュートンが会長をつとめる王立協会がニュートンに優先権を認める報告を出すと、ライプニッツは匿名のビラ『飛び紙』(Charta volans)で応じ、そこに「ある卓越した数学者」の判断を引用しました。それがヨハンでした。その後何年も、ヨハンはニュートンの方法では解けないと考えたむずかしい問題で、イギリスの数学者たちに挑みつづけました。ライプニッツは 1716 年に亡くなり、ヨハンはその後も長くひとりで戦いました。この争いのために、イギリスの数学はほぼ一世紀のあいだ大陸の数学から切り離されることになります。 関数という言葉 数学的な意味での 関数 という言葉は、1690 年代のライプニッツとヨハンの手紙のやりとりのなかで生まれました。1718 年、ヨハンは最初の定義を発表します。 私は、変量の関数とは、その変量と定数とからなんらかのしかたで組み立てられた量のことだと呼ぶ。 — ヨハン・ベルヌーイ『パリ科学アカデミー紀要』(1718) 彼は $x$ の関数をギリシャ文字 $\varphi$ で書き、ときにはかっこなしで $\varphi x$ と書きました。$f(x)$ と書きはじめたのは、1734 年、弟子のオイラーです。このサイトの旧関数講座に記号の年表があります。 年 人物 記号 1694 ヨハン・ベルヌーイ $x$ によって決まる量を、たとえば $n$ のような一文字で表す 1698 ヨハン・ベルヌーイ $x$ の関数を $X$ または $\xi$ で表す 1718 ヨハン・ベルヌーイ $\varphi x$ 1734 レオンハルト・オイラー $f\left(\frac xa+c\right)$ 一派 ヨハンは、同じ世紀のほかのどの先生よりも多くの重要な数学者を育てました。たとえば、 ロピタル侯爵。彼の講義を最初の微積分の本にした。 息子のニコラウス二世、ダニエル、ヨハン二世。 ダニエルは流体力学を創始し、ベルヌーイの名を冠した定理を残した。ヨハン二世は父の講座を継いだ。 レオンハルト・オイラー。その世紀最大の数学者で、土曜日ごとに指導を受けた。 最小作用の原理を唱えた ピエール=ルイ・モロー・ド・モーペルテュイ と、地球の形を研究した アレクシ・クレロー。 オイラーを通じて、この系譜はベルリンでオイラーの後を継いだラグランジュへ、そしてそこから十九世紀と二十世紀の数学の大部分へと続いていきます。 残ったもの 微積分。 ロピタルの定理、対数微分法、指数計算、関数の定義。 曲線。 懸垂線と最速降下線、そして運動と光のあいだのたとえ。 変分法。 最速降下線の挑戦と、等周問題をめぐるヤコブとの争いが、オイラーとラグランジュへの道を開いた。 力学。 仮想仕事の原理。静力学と『解析力学』の土台。 教育。 オイラーを筆頭とする一世代の数学者たち。 全集 1742 年、75 歳のヨハンはローザンヌとジュネーヴで四巻の『全集』(Opera omnia)を出版しました。編集したのは、連立一次方程式のクラメルの公式で知られるガブリエル・クラメルです。そこには『水力学』が、息子の『流体力学』より前に見えるようヨハンが選んだ 1732 年の日付つきで収められています。

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ヤコブ・ベルヌーイの遺産

ヤコブ・ベルヌーイは五十年しか生きず、生前に発表したものも多くはありません。ほとんどが『学術紀要』の短い論文です。それでも、今も毎日使われる言葉や記号や考えをこれほど多く残した数学者はまれです。積分、ベルヌーイ試行、二項分布、ベルヌーイ数、大数の法則、確率的(stochastic)。 積分という言葉 ライプニッツは、微分の逆の演算を calculus summatorius、和の計算と呼び、summa(和)の S を引きのばした $\int$ で書きました。1690 年 5 月、等時曲線の問題を解いたヤコブは、二つの式が「等しい積分」をもつと書きました。積分(integral)という言葉が数学の文献に印刷されたのは、これが最初です。ヨハンがこの用語を採用し、1696 年にはライプニッツも自分の「和の計算」をベルヌーイ兄弟の 積分計算 に改めることに同意しました。記号はライプニッツのもの、名前はヤコブのものとして残ったのです。 年 人物 記号または名前 出所 1659 ピエトロ・メンゴリ omnia $x$ Geometriae speciosae elementa 1675 ライプニッツ $\int x$ 1675 年 10 月 29 日の手稿 1690 ヤコブ・ベルヌーイ 「integral」 『学術紀要』 1696 ライプニッツとヨハン・ベルヌーイ calculus integralis 書簡 1822 フーリエ $\int_a^b f(x)\,dx$ 『熱の解析的理論』 つるされた鎖 1690 年の同じ論文で、ヤコブは、両端をつるした鎖がどんな形になるかを問いました。ガリレオは放物線だと考えていました。1691 年、ヨハン、ライプニッツ、ホイヘンスが正しい答え、懸垂線 を発表しました。今日では双曲線余弦を使って $y=a\cosh\frac xa$ と書かれます。ヤコブは弟との競争に負けましたが、問いは彼のものでした。懸垂線 の物語はヨハンのコースにあります。 ド・モアブルと正規曲線 黄金の定理は頻度が確率に近づくことを述べていましたが、必要な観察数についてのヤコブの見積もりは大きすぎました。1733 年、ロンドンに亡命していたフランス人アブラーム・ド・モアブルは、$n$ が大きいときの二項展開の項のよりよい近似を探し、釣鐘形の曲線 $$y=\frac1{\sqrt{2\pi}}\,e^{-x^2/2}$$を見つけました。これが 正規曲線 の最初の登場で、のちにラプラスとガウスがこれを統計学の中心にすえます。これを使えば、ヤコブの壺に必要なのは、彼が計算した 25 550 回ではなく、およそ 6 500 回です。

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画像クレジット

歴史的な画像 すべてウィキメディア・コモンズから取りました。コモンズが提供するサムネイルを、編集せずに使っています。 ヨハン・ベルヌーイの肖像、アムステルダム国立美術館所蔵の版画:元のページ · CC0。 ギヨーム・ド・ロピタルの肖像:元のページ · パブリックドメイン。 『無限小解析』の扉、パリ、1696 年:元のページ · パブリックドメイン。 ダニエル・ベルヌーイの肖像、Johann Rudolf Huber の原画による Johann Jakob Haid の版画:元のページ · パブリックドメイン。 鎖とアーチ、ジョヴァンニ・ポレーニの図、Memorie istoriche della gran cupola del Tempio Vaticano、1748 年:元のページ · パブリックドメイン。 ブログの図 表紙と、同じ二点を結ぶサイクロイドと直線の図は、このサイトのオリジナルのイラストで、サイトの各言語の版があります。図は縮尺どおりで、二つの軸は同じ単位を使っています。遺産の記事にある関数の記号の表は、このサイトの旧関数講座の表をもとに作りなおしたものです。 記録 ファイル data/johann_bernoulli_imagens.json には、ダウンロードした各画像の出所、ライセンス、確認日、SHA-256 ハッシュが記録されています。各トピックの歴史的な出典は、それぞれの記事の末尾にあります。 ヨハン・ベルヌーイの全トピック · ← ヨハン・ベルヌーイの遺産