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ソフィー・ジェルマンの恒等式:素数に見えるものを因数分解する

素数に見えて、そうでない数があります。たとえば 629 は偶数でも、一の位が 5 でも、3 の倍数でもありません。けれども $629=5^4+4$ で、この形が正体をあかします。ソフィー・ジェルマンの名がついた恒等式で因数分解できるのです。 恒等式 どんな数 $a$、$b$ についても、 $$\begin{aligned}a^4+4b^4={}&\left(a^2+2b^2+2ab\right)\\&\times\left(a^2+2b^2-2ab\right).\end{aligned}$$これを見つけるこつは、2 次方程式の解の公式のときと同じ、平方完成です。$a^4+4b^4$ は $a^2+2b^2$ の 2 乗にほとんど等しく、足りないのは真ん中の項 $4a^2b^2$ だけです。その項を足して引くと、 $$\begin{aligned}a^4+4b^4&=\left(a^4+4a^2b^2+4b^4\right)-4a^2b^2\\&=\left(a^2+2b^2\right)^2-(2ab)^2.\end{aligned}$$これで二つの平方の差になったので、$u^2-v^2=(u+v)(u-v)$ で仕上がりです。 例では $a=5$、$b=1$ として、 $$5^4+4=(25+2+10)(25+2-10)=37\cdot17=629.$$素数に見えたもの この恒等式は、無害に見える多くの数が合成数であることを一度に示します。たとえば $n>1$ なら $n^4+4$ はいつも合成数です。$a=n$、$b=1$ とすれば、二つの因数 $n^2+2n+2$ と $n^2-2n+2$ はどちらも 1 より大きいからです。$n=1$ だけは例外で、そのとき二つめの因数は $1$ になり、$1^4+4=5$ は素数です。 もっと意外な例は 2 のべきから出てきます。数 $2^{10}+1=1025$ は $1+4\cdot4^4$ と書けるので、$a=1$、$b=4$ として、 $$2^{10}+1=(1+32+8)(1+32-8)=41\cdot25.$$$2^{4k+2}+1$ の形の数に対するこの種の因数分解は、19 世紀に巨大な数を割るのに使われました。1869 年、フランスのフォルチュネ・ランドリーは 18 けたの数 $2^{58}+1$ を手計算で因数分解しました。まもなくレオン=フランソワ=アントワーヌ・オーリフイユは、ソフィー・ジェルマンの恒等式を使えば最初の分解が一行ですむことを示しました。 この対話型の図を使うには JavaScript を有効にしてください。議論の全体は本文にあります。 数学オリンピックの問題 ソフィー・ジェルマンの恒等式は、数学オリンピックでお気に入りの道具の一つです。$4^{545}+545^4$ は素数か、と問う古典的な問題があります。コンピュータなしでは答えられそうにありませんが、この恒等式を使えば、数行で素数でないことがわかります。二つめの練習問題を見てください。

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四つの平方数で足りる

好きな正の整数を一つとって、平方数 $0, 1, 4, 9, 16, 25, \ldots$ の和として、できるだけ少ない項で書いてみましょう。 $$\begin{aligned} 5&=4+1,\\ 6&=4+1+1,\\ 7&=4+1+1+1,\\ 30&=25+4+1,\\ 2026&=2025+1=45^2+1^2. \end{aligned}$$それ自身が平方数のものもあれば、二つ必要なもの、三つ必要なものもあります。7 は四つ必要で、ほかに方法はありません。五つ必要な数はあるでしょうか。1770 年、ラグランジュはないことを証明しました。 すべての正の整数は、四つの整数の平方の和である。 ゼロも平方数に数えれば、これは $n=a^2+b^2+c^2+d^2$ となる $a, b, c, d$ がいつも存在するということです。 十五世紀にわたる予想 250 年ごろ、アレクサンドリアのギリシア人ディオファントスは、ある数が四つの平方数の和に書けることを、問題のなかで説明なしに使っています。1621 年、フランスのクロード=ガスパール・バシェはディオファントスの『算術』のラテン語版を出版し、この主張をはっきり書きました。彼は 325 まで確かめたが証明はわからない、と述べています。 ピエール・ド・フェルマーが有名な書きこみをしたのは、このバシェの本の余白でした。フェルマーは自分の無限降下法で証明したと宣言しましたが、いつものとおり、それを見せることはありませんでした。 オイラーの四十年 オイラーはおよそ四十年にわたって証明を試み、最後までたどりつけませんでした。けれども 1748 年に、いちばん大事な部品を見つけます。四つの平方数の和どうしの積は、また四つの平方数の和になることを示す恒等式です。 $$\begin{aligned} &(a^2+b^2+c^2+d^2)(e^2+f^2+g^2+h^2)\\ &\quad=(ae+bf+cg+dh)^2\\ &\qquad+(af-be+ch-dg)^2\\ &\qquad+(ag-bh-ce+df)^2\\ &\qquad+(ah+bg-cf-de)^2. \end{aligned}$$魔法のように見えますが、両辺を展開するだけです。交差する積はすべて二つずつ打ち消し合います。たとえば $7=2^2+1^2+1^2+1^2$、$15=3^2+2^2+1^2+1^2$ です。恒等式から $$\begin{aligned}105&=7\cdot15=10^2+1^2+0^2+(-2)^2\\&=100+1+0+4.\end{aligned}$$この結果は強力です。どんな数も素数の積です。それぞれの素数が四平方和なら、恒等式によってその積も四平方和になります。したがって、定理は素数について証明すれば十分なのです。 ラグランジュの証明 ここで、1770 年、すでにベルリンにいたラグランジュが登場します。彼の証明は二段階からなり、どちらもフェルマーの降下法の仲間です。 第一段階。 どんな奇素数 $p$ についても、$x^2+y^2+1$ が $p$ の倍数になる $x$ と $y$ が存在します。理由は数え上げです。$x$ を $0$ から $\frac{p-1}2$ まで動かすと、数 $x^2$ は $p$ でわったとき $\frac{p+1}2$ 個の異なる余りを残し、数 $-1-y^2$ も同じです。$\frac{p+1}2+\frac{p+1}2=p+1$ は可能な余り $p$ 個より多いので、鳩の巣原理により、二つのリストのあいだで余りがどこかで重なります。したがって $p$ のある倍数、たとえば $mp$ は四平方和 $x^2+y^2+1^2+0^2$ になります。

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正方形と長方形でする代数

直線が任意に分けられるならば、全体の上の正方形は、それぞれの部分の上の正方形と、二つの部分にはさまれた長方形の二倍との和に等しい。 — ユークリッド『原論』命題 II.4 ギリシャ人には、未知数を表す文字も、プラスやマイナスの記号も、等号もありませんでした。$a\cdot b$ のことを話したいときは、辺が $a$ と $b$ の 長方形 の話をし、$a^2$ のことを話したいときは、辺が $a$ の 正方形 の話をしました。べき乗に使う「平方」や「立方」という言葉はここから来ています。『原論』の第二巻はまるごとこのやり方で書かれていて、面積についての事実として述べられ証明された代数の恒等式でできています。歴史家はそれを 幾何学的代数 と呼びます。 和の平方 引用の命題 II.4 はこう言います。線分を $a$ と $b$ の二つに分ける。線分全体の上の、辺 $a+b$ の正方形は、$a$ の上の正方形と、$b$ の上の正方形と、辺 $a$ と $b$ の長方形二つの和に等しい。四つに分けた大きな正方形の図を見れば十分です。今日の記法では、 $$(a+b)^2=a^2+b^2+2ab.$$学校で暗記する公式を、ユークリッドは 描いた のです。そして証明はその図そのものです。四つの部分が、あまりも不足もなく大きな正方形を埋めつくしています。 平方の差 命題 II.5 は、知られている最も古い『原論』の断片、オクシリンコスのパピルスに書かれていたものです。今日のことばでは、長さ $2m$ の線分をまんなかで切り、さらに任意の点で $m+d$ と $m-d$ に分けると、 $$(m+d)(m-d)+d^2=m^2$$となる、と言っています。これは恒等式 $m^2-d^2=(m+d)(m-d)$、平方の差 です。ユークリッドは、長方形の一部を切りとって小さな正方形のとなりにはめこみ、正方形をつくることで証明します。 平方完成 ユークリッドから千年後の 820 年ごろ、中央アジアのホラズム地方の出身で、バグダードの知恵の館で働いていた数学者ムハンマド・イブン・ムーサー・アル=フワーリズミー が、未知の量をひとつ含む問題の解き方についての本を書きました。その題名には「復元」を意味する al-jabr という言葉があり、それが 代数(algebra)という言葉の起源になりました。著者の名前は アルゴリズム という言葉の起源です。このサイトの旧二次方程式講座は、彼の例のひとつを紹介していました。 ひとつの平方とその根の十倍が三十九に等しい。平方はいくつか? 今日のことばでは $x^2+10x=39$ です。フワーリズミーは、ユークリッドがしたであろうのとまったく同じく、面積でそれを解きました。 x² + 10x = 39 の幾何学的な解き方。一辺 x の黄色い正方形と、辺が x と 5 の二つの緑の長方形をあわせると 39 になる。一辺 5 の赤い小さな正方形が、一辺 x + 5 の正方形を完成させる。Euler’s Eyes 作図 一辺 $x$ の正方形を描く。面積は $x^2$。 「根の十倍」$10x$ を、辺が $x$ と $5$ の二つの長方形に分け、正方形の二辺にそれぞれくっつける。L 字形の図全体の面積は $x^2+10x=39$。 大きな正方形を完成させるには、すみに一辺 $5$、面積 $25$ の小さな正方形が足りない。それを加えると、大きな正方形の面積は $39+25=64$。 面積 $64$ の正方形の一辺は $8$。ところが大きな正方形の一辺は $x+5$ なので、$x+5=8$、$x=3$。 今日の記法では、こうなります。

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フェルマー数:予想と反例

数学者たちはずっと、素数だけを生み出す公式を夢見てきました。1640 年、フェルマーはそれを見つけたと思いました。 5 つ続いた素数 フェルマーは次の形の数を調べました。 $$F_n=2^{2^n}+1.$$指数は 2 のべき、$1,2,4,8,16,\ldots$ です。最初のいくつかを計算すると、 $$F_0=3,\quad F_1=5,\quad F_2=17,\quad F_3=257,\quad F_4=65\,537.$$5 つとも素数です。$65\,537$ を手で確かめる(平方根まで割ってみる)だけでも、もう大変な作業でした。フェルマーはフレニクル・ド・ベシーへの手紙で、この形の数はすべて素数だと確信していると書きましたが、証明はないことも認めていました。 大きすぎる数 次の数は $$F_5=2^{32}+1=4\,294\,967\,297.$$10 桁の数です。素数かどうかを調べるには、17 世紀に手作業で約 6 万 5000 まで割ってみなければなりません。フェルマーはその計算をしませんでした。 ほぼ 100 年後の 1732 年、若きレオンハルト・オイラーが計算しました。そして見つけたのです。 $$4\,294\,967\,297=641\times6\,700\,417.$$フェルマーの予想はまちがっていました。すべての数についての主張は、反例が一つあれば崩れます。 なぜ 641 なのか オイラーはやみくもに割ってみたわけではありません。$F_5$ の約数は $64k+1$ という特別な形でなければならないことを知っていて、それで探す範囲が大きく狭まりました。この形の素数の候補の 5 番目が 641 です。 割り算をしないで割り切れることを確かめる、エレガントな方法もあります。641 は二通りに書けることに注目しましょう。 $$641=5\cdot2^7+1=5^4+2^4.$$641 を法として、一つ目の形から $5\cdot2^7$ の余りは $-1$。4 乗すると $5^4\cdot2^{28}$ の余りは $1$。二つ目の形から、$5^4$ の余りは $-2^4$ と同じ。入れ替えると、 $$-2^4\cdot2^{28}=-2^{32}\equiv1\pmod{641}.$$したがって $2^{32}+1$ の余りは 0、つまり 641 の倍数です。計算の全体はオイラーのシリーズにあります。 この対話型の図を使うには JavaScript を有効にしてください。議論の全体は本文にあります。 素数は今も 5 つだけ コンピュータによって、$F_5$ から $F_{32}$ までのフェルマー数はすべて合成数であることがわかっています。最初の 5 つ以外にフェルマー素数を見つけた人はいません。今では多くの数学者が、フェルマーの予想とは逆のこと、つまりフェルマー素数はこの 5 つしかないのではないかと考えています。

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クラドニ図形と振動板の懸賞

中心で固定した金属板に砂をまき、ふちをバイオリンの弓でこすってみましょう。板は歌いはじめ、砂はまるで自分の意志があるかのように、ある場所からは逃げ、別の場所に集まって、線や十字や星や左右対称の曲線を描きます。音を変えると、模様も変わります。これがクラドニ図形です。 クラドニ板の鳴らし方。板を中心で固定し、ふちをバイオリンの弓でこする。1879 年の本の版画。作者不詳、1879 · Wikimedia Commons · パブリックドメイン 目に見える音 ドイツのエルンスト・クラドニは 1787 年、『音の理論についての発見』という本でこれらの図形を発表しました。定性的な説明はかんたんです。板が振動すると、ほとんどの点が上下に動いて砂をはね飛ばします。けれども、動かない線がいくつかあります。これが節線です。砂はそこにすべりこんでとどまります。模様は、板が動かない場所の地図なのです。 クラドニは板を持ってヨーロッパじゅうを回りました。1808 年にはパリでナポレオンの前で実演し、魅了された皇帝は、図形を説明する弾性曲面の数学的理論を出した人に贈る 1 キログラムの金メダルを、科学アカデミーに用意させました。 なぜそれほどむずかしかったのか 振動する弦については、数学はすでにそろっていました。1747 年にダランベールが弦の方程式を書き、オイラーとダニエル・ベルヌーイが、弦は最低音の振動数の整数倍 $f, 2f, 3f, \ldots$ の音で振動することを説明していました。弦は線で、それを引きもどす力は弦がどれだけ傾いているかで決まります。 板はちがいます。板は金属の定規のように曲げられることに抵抗し、しかも二つの方向に同時に曲がります。オイラーは鐘をあつかおうとし、ダニエルのおいのヤコブ・ベルヌーイは板を交差する梁の格子と考えましたが、うまくいきませんでした。審査員の一人ラグランジュは、当時の方法では足りないと考えていました。応募したのはただ一人でした。 三度の挑戦 ソフィー・ジェルマンは一つの仮説から出発しました。板が抵抗する力はその曲率に比例し、曲面ではそれは二つの主方向の曲率を足すことを意味する、というものです。1811 年、彼女は論文を提出しました。計算にまちがいがあり、賞は与えられませんでした。けれどもラグランジュは、彼女の仮説から計算を正して、板の小さな変位 $z(x,y,t)$ についての正しい方程式にたどりつきました。 $$\begin{aligned}&\frac{\partial^2 z}{\partial t^2}+k^2\Bigg(\frac{\partial^4 z}{\partial x^4}+2\,\frac{\partial^4 z}{\partial x^2\,\partial y^2}\\&\qquad\qquad+\frac{\partial^4 z}{\partial y^4}\Bigg)=0.\end{aligned}$$4 階の導関数に注目してください。弦の方程式には 2 階の導関数しかありません。階数が高いのは、曲げに対する抵抗のしるしです。 懸賞は再募集されました。1813 年、ソフィーはこの方程式がクラドニの図形のいくつかを再現することを示し、佳作になりました。1816 年、三度目で受賞しました。審査員はまだ、物理的な根拠づけと板のふちでの条件に穴があると指摘しており、それが解決されたのは 1850 年、グスタフ・キルヒホッフによってでした。けれどもその方程式は、今日 $\frac{\partial^2 z}{\partial t^2}+k^2\,\Delta^2 z=0$ と書かれ、技術者が床や翼やギターの表板を計算するのに今も使っているのと同じものです。 図形を描く 正方形の板では、節線の古典的な近似が $$\cos(n\pi x)\cos(m\pi y)\pm\cos(m\pi x)\cos(n\pi y)=0$$のような組み合わせで与えられます。$x$ と $y$ は 0 と 1 のあいだです。下の図はこの式で描きました。それぞれの正方形が一枚の板で、明るい線が砂の集まる場所です。 単純化したモデルでの正方形の板の節線。m、n と符号のいくつかの値について。砂は明るい線の上に集まる。Euler’s Eyes 作図 ギターとバイオリン 楽器職人は今でもクラドニ図形を使っています。まだ取りつけていないバイオリンやギターの表板に粉をまき、スピーカーで振動させて模様を見るのです。節線があるべき場所になければ、あちこち少しずつ木を削っては試し、板がちゃんと「歌う」までくり返します。

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ユークリッドの互除法:最大公約数

ユークリッドの互除法はあらゆるアルゴリズムのおじいさんである。今日まで生きのびている、自明でないアルゴリズムのなかで最も古いのだから。 — ドナルド・クヌース『The Art of Computer Programming』第 2 巻(1969) 長さ 252 cm と 105 cm の二本の棒があって、どちらもちょうど整数回で測れるいちばん長い物差しを見つけたいとします。今日のことばでは 最大公約数 $\gcd(252,105)$ が知りたいわけです。それぞれの数の約数をすべて書きだして、共通するいちばん大きなものを探してもよいのですが、大きな数ではそうはいきません。『原論』の第七巻で、ユークリッドはずっと速い方法を教えています。 大きいほうから小さいほうを引く 命題 VII.1 と VII.2 でのユークリッドの考えは単純です。二本の棒を測れる物差しは、その 差 も測れる。だから 252 と 105 の共通の尺度を探すかわりに、105 と $252-105=147$ について探してもよい。それから 105 と $147-105=42$ について。いつも大きいほうから小さいほうを引き、二つが等しくなるまで続けます。 $$(252,105)\to(147,105)\to(42,105)\to(42,63)\to(42,21)\to(21,21).$$どちらも 21 になりました。これが最大公約数です。ギリシャ人はこの手続きを アンテュパイレシス、「たがいに引くこと」と呼びました。 割り算による版 同じ数を何回も引くのは、割ることです。くり返しの引き算を余りのある割り算にまとめると、アルゴリズムは短くなります。 $$\begin{aligned}252&=2\cdot105+42\\105&=2\cdot42+21\\42&=2\cdot21+0\end{aligned}$$最後の 0 でない余りが最大公約数です。 $$\boxed{\gcd(252,105)=21.}$$なぜうまくいくのか $a=qb+r$ なら、 $a$ と $b$ をともに割りきる数は、$r=a-qb$ も割りきる。 $b$ と $r$ をともに割りきる数は、$a=qb+r$ も割りきる。 組 $(a,b)$ と $(b,r)$ の公約数はまったく同じなので、$\gcd(a,b)=\gcd(b,r)$ です。では、なぜアルゴリズムは 終わる のでしょう。余りは一歩ごとに小さくなる正の整数で、$42>21>0$、そして正の整数がいつまでも小さくなりつづけることはできないからです。いつかは余りが 0 になり、$\gcd(d,0)=d$ です。

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根を入れかえる:ラグランジュの定理

1770 年、代数学には二世紀以上も止まったままの問題がありました。2 次方程式には解の公式があり、3 次と 4 次の方程式の解き方も 1545 年にカルダーノが出版していました。ところが 5 次については、だれも何も見つけられませんでした。最高の数学者たちが挑み、4 次までうまくいったどの方法も 5 次でつかえてしまったのです。 ラグランジュは、もう一つ新しい方法を試すことはしませんでした。別の問いを立てたのです。古い方法はなぜうまくいくのか。 この論文で私は、これまでに見いだされた方程式の代数的解法のさまざまな方法を調べ、それらを一般的な原理に帰着させ、それらの方法がなぜ 3 次と 4 次ではうまくいき、それ以上の次数では失敗するのかを、先験的に示すことを目指す。 — ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ『方程式の代数的解法についての考察』(1771) この論文は 200 ページを超え、1770 年と 1771 年にベルリン・アカデミーから出版されました。 根を入れかえる 中心にある考えは、方程式の根でつくった式を見て、根どうしが場所を入れかえたときにその式がどうなるかを調べることです。 2 次から始めましょう。方程式 $x^2+bx+c=0$ の根を $x_1$、$x_2$ とすると、ヴィエト以来 $$x_1+x_2=-b,\qquad x_1x_2=c$$であることが知られています。この二つの式は、$x_1$ と $x_2$ を入れかえても変わりません。だから係数で書けるのです。一方、差 $x_1-x_2$ は変わります。$x_2-x_1$、つまり符号が逆になります。この式は二つの値をとります。けれどもその 2 乗は、ふたたび一つの値しかとらないので、係数で書けます。 $$(x_1-x_2)^2=(x_1+x_2)^2-4x_1x_2=b^2-4c.$$あとは平方根をとるだけです。$x_1-x_2=\pm\sqrt{b^2-4c}$。和と差がわかれば根はすぐに出てきて、結果は 2 次方程式の解の公式になります。公式の $\pm$ は、まさに $x_1-x_2$ がとりうる二つの値の符号なのです。 4 次の秘密 ラグランジュは同じ分析を 3 次と 4 次でもおこないました。4 次では、根を $x_1, x_2, x_3, x_4$ とすると、フェラーリの技法は式 $$t=x_1x_2+x_3x_4$$を見ることにあたります。四つの根の並べかえ方は $4!=24$ 通りありますが、$t$ がとる値は三つだけです。 $$\begin{gathered}x_1x_2+x_3x_4,\\ x_1x_3+x_2x_4,\\ x_1x_4+x_2x_3.\end{gathered}$$この三つの値は、もとの方程式の係数から計算できる係数をもつ3 次方程式の根です。3 次はすでに解けるので、$t$ が求まり、そこから根が求まります。4 次方程式が解けるのは、とる値が四つより少ない根の式が存在するからなのです。

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平均曲率:曲面はどれだけ曲がっているか

振動する板の方程式を書くために、ソフィー・ジェルマンはかんたんそうに聞こえる問いに答えなければなりませんでした。曲面はある点でどれだけ曲がっているのか。彼女の答え、平均曲率は、今もシャボン玉、細胞膜、飛行機の外板を調べるのに使われています。 曲線の曲率 線から始めましょう。直線は曲がらないので、その曲率はゼロだといいます。円はどの点でも同じだけ曲がっていて、小さい円ほどよく曲がります。そこで半径 $R$ の円の曲率を $$\kappa=\frac1R$$と定めます。半径 1 cm の円の曲率は 1、半径 1 m の円なら 1 cm あたり $0.01$ です。一般の曲線では、各点でそこにいちばんよく合う円、接触円をとり、その半径の逆数を曲率とします。 曲面にはたくさんの曲率がある 曲面になると話はややこしくなります。缶の側面の一点を考えてみましょう。缶にそって縦に歩けば、道はまっすぐで曲率はゼロ。缶のまわりを歩けば、道は半径 $r$ の円で曲率は $\frac1r$。そのあいだの向きでは、あいだの値になります。 1760 年、オイラーはこれがいつも規則正しく起こることを示しました。各点に、曲率が最大になる向き $\kappa_1$ と最小になる向き $\kappa_2$ があり、二つはたがいに垂直です。これが主曲率です。一つめの向きと角 $\theta$ をなす向きの曲率は $$\kappa(\theta)=\kappa_1\cos^2\theta+\kappa_2\sin^2\theta$$です。 ソフィー・ジェルマンの考え ソフィー・ジェルマンには、板が曲げにどれだけ抵抗するかを表す一つの数が必要でした。彼女の仮説は、二つの主曲率を足すことでした。今日ではその和の半分を使い、平均曲率と呼びます。 $$H=\frac{\kappa_1+\kappa_2}{2}.$$この名前は正確です。$\kappa(\theta)$ をすべての向きについて平均すると、$\cos^2\theta$ と $\sin^2\theta$ の一周での平均はどちらも $\frac12$ なので、結果はちょうど $\frac{\kappa_1+\kappa_2}{2}$ になります。平均曲率とは、すべての向きの曲率の平均なのです。 半径 r の球面では、二つの主曲率はどちらも 1/r。円柱面では一つが 1/r、もう一つが 0。鞍形の面の中心では、二つは大きさが等しく符号が逆で、打ち消し合う。Euler’s Eyes 作図 半径 $r$ の球面:二つの曲率はどちらも $\frac1r$ で、$H=\frac1r$。 半径 $r$ の円柱面:一つの曲率が $\frac1r$、もう一つが $0$ で、$H=\frac1{2r}$。 鞍形の面:一方の向きでは上がり、もう一方では下がるので、二つの曲率は符号が逆になり、中心で $H=0$。 ジェルマンとガウス:和と積 1827 年、ソフィーの文通相手だったガウスは、同じ二つの曲率の別の組み合わせ、積 $K=\kappa_1\kappa_2$ を研究しました。今日ガウス曲率と呼ばれるものです。二つの数は別々のことを語っています。

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無限小のない導関数と平均値の定理

18 世紀の終わり、微積分はとてもよく役に立っていましたが、なぜうまくいくのかをきちんと説明できる人はいませんでした。ライプニッツの $dx$ は「無限に小さい」量でした。それでわり算をするためにゼロでないものとしてあつかったかと思うと、すぐあとで、無視するためにゼロであるかのようにあつかうのです。1734 年、バークリー主教はこれをあざけって、「死んだ量の亡霊」と呼びました。 ラグランジュはこのことが気になっていました。1797 年、彼は副題そのものが一つの綱領になっている本を出版します。 微分計算の原理をふくみ、無限小、消えゆく量、極限、流率についてのあらゆる考察から解放され、有限な量の代数的解析に帰着させたもの。 — ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ『解析関数論』(1797) 導かれた関数 ラグランジュの考えは、まともな関数ならどれもべき級数に展開できる、というものでした。変数 $x$ に増分 $i$ を与えると、 $$f(x+i)=f(x)+p\,i+q\,i^2+r\,i^3+\cdots$$となり、$p, q, r, \ldots$ は $x$ の新しい関数です。ラグランジュはこのうち最初のもの、$i$ の係数を、$f$ の導かれた関数と定義し、ダッシュをつけて $f'(x)$ と書きました。$f'$ の導関数は $f''$、以下同様です。 $f(x)=x^3$ でどうなるか見てみましょう。3 乗を展開すると、 $$(x+i)^3=x^3+3x^2\,i+3x\,i^2+i^3.$$$i$ の係数は $3x^2$ なので、$f'(x)=3x^2$ です。あとで消えてしまうものでわる必要も、何かを無視する必要もありませんでした。係数を読みとるだけでよかったのです。これこそラグランジュが望んだことでした。 この対話型の図を使うには JavaScript を有効にしてください。議論の全体は本文にあります。 残ったダッシュ 今日、学校では導関数に二つの記号を使います。ライプニッツの $\frac{dy}{dx}$ と、ラグランジュの $f'(x)$ です。導関数(derivative)ということばもこの本から来ています。fonction dérivée、もとの関数から導かれた関数です。文字の上に点をつけて $\dot y$ と書いたニュートンの記号は、今日ではおもに物理で、変数が時間のときに使われています。 計画がつまずいたところ この計画には欠陥があり、1823 年にコーシーがそれを指摘しました。すべての関数がそのべき級数に等しいわけではないのです。関数 $$f(x)=e^{-1/x^2}\ \ (x\neq0),\qquad f(0)=0$$はゼロの近くでとても平らなので、そこでの導関数はすべてゼロになります。ゼロのまわりでのべき級数は $0+0\,i+0\,i^2+\cdots=0$ ですが、関数はゼロではありません。ラグランジュのように級数から出発するだけでは足りないのです。コーシーは極限の考えで微積分を立て直し、今日教えられているのは彼の版です。 それでもラグランジュは、その途中で、計画が難破したあとも生き残った二つの道具を見つけていました。 平均値の定理 一つめは平均値の定理で、彼は自分の級数をおさえるためにそれを必要としていました。今日の形ではこうです。$f$ が $a$ から $b$ までの区間で微分可能なら、そのあいだに少なくとも一つの点 $c$ があって、

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素数は尽きない

素数は、示されたどんな個数の素数よりも多い。 — ユークリッド『原論』命題 IX.20 素数 とは、1 と自分自身でしか割りきれない、1 より大きい整数です。2、3、5、7、11、13、……。ほかの数は、$12=2\cdot2\cdot3$ のように、すべて素数の積です。素数は算数の原子なのです。 先へ進むほど、素数はまれになります。1 から 100 までには 25 個ありますが、1 000 001 から 1 000 100 までには 6 個しかありません。どこかで尽きてしまうのでしょうか。ユークリッドは、尽きないことを四行の議論で示しました。イギリスの数学者 G. H. ハーディは、それを数学全体で最も美しい議論のひとつとみなしていました。 証明 だれかが有限個の素数のリスト $p_1,p_2,\ldots,p_n$ をくれたとします。ユークリッドは、そのリストの 外に 少なくともひとつ素数があることを示します。すべてをかけて 1 を足しましょう。 $$N=p_1\cdot p_2\cdots p_n+1.$$$N$ をリストのどの素数で割っても、積 $p_1p_2\cdots p_n$ はその素数で割りきれるので、余りは 1 です。リストのどの素数も $N$ を割りきりません。 ところが $N$ は 1 より大きいので、少なくともひとつ素因数 $q$ をもちます。なぜでしょう。$N$ の 1 より大きい約数のうち最小のものをとります。それが素数でなければ、もっと小さい約数をもち、それも $N$ を割りきるので、最小だという選び方に反します。だから最小の約数は素数です。 この素数 $q$ は $N$ を割りきり、リストのどの素数も $N$ を割りきりません。よって $q$ はリストにありません。どんな有限のリストもすべての素数を含むことはできないのです。 $$\boxed{\text{素数は無限にある。}}$$ユークリッドは「無限」という言葉を使いません。ギリシャ人が避けた言葉です。彼は、どんな 個数の素数が与えられても、もっとある、と言います。同じことを、注意深く言ったのです。 つくった数はいつも素数とはかぎらない $N$ はいつも素数だと思うのは、よくあるまちがいです。見てみましょう。

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ソフィー・ジェルマンの遺産

代数学は書かれた幾何学にすぎず、幾何学は描かれた代数学にすぎない。 — ソフィー・ジェルマン『科学と文芸の状態についての一般的考察』(1833) ソフィー・ジェルマンは、学位も地位も学生もなく、ほとんどいつもひとりで研究しました。当時の数学者たちがたがいに学び合った講義や雑誌や議論から締め出されていたことは、彼女の仕事にも表れています。きわめて独創的な考えに、ときおり、教師がいれば早めに指摘できたはずの穴がまじっているのです。それでも彼女は、ほとんど接点のない二つの分野、数論と弾性理論に名前を残しました。 塔に欠けている名前 1889 年にエッフェル塔が開業したとき、ギュスターヴ・エッフェルは塔に 72 人のフランスの科学者と技術者の名を刻みました。ナヴィエ、ポアソン、コーシーなど、その多くは弾性を研究した人たちで、塔そのものもその理論のおかげで設計できたのです。ソフィー・ジェルマンの名はそこにありません。1913 年、歴史家 H・J・モザンスはこの欠落を指摘しました。塔を可能にした理論の創始を助けた人が忘れられたのは、彼女が女性だったからだ、と。 残ったもの 数論。 ソフィー・ジェルマンの定理は、フェルマーの最終定理についての最初の一般的な結果でした。2010 年になってようやく研究された彼女の手稿は、考えられていたよりずっと野心的な計画を示しています。 ソフィー・ジェルマン素数。 $2p+1$ も素数になる素数 $p$ は彼女の名で呼ばれ、今日では安全素数として、インターネットの安全な接続を守っています。 代数学。 恒等式 $a^4+4b^4=(a^2+2b^2+2ab)(a^2+2b^2-2ab)$ は古典的な因数分解の道具です。 弾性理論。 1816 年に受賞した振動板の方程式は、技術者が今も使う板の理論の土台です。 幾何学。 曲面の曲がりぐあいをはかるのに彼女が使った平均曲率は、シャボン玉、極小曲面、細胞膜に現れます。 哲学。 死後に甥が出版した『科学と文芸の状態についての一般的考察』は、科学と芸術の一体性を説いています。オーギュスト・コントはこれを称賛しました。 パリのペール・ラシェーズ墓地、第 16 区画にあるソフィー・ジェルマンの墓。Pierre-Yves Beaudouin, 2015 · Wikimedia Commons · CC BY-SA 4.0 たたえる名 パリの 14 区にはソフィー=ジェルマン通りがあり、マレ地区には彼女の名をとった学校、リセ・ソフィー=ジェルマンがあります。2003 年からフランス科学アカデミーは毎年、フランスの数学でもっとも重要な賞の一つ、ソフィー・ジェルマン賞を授与しています。 ヒュパティア、エミリー、ソフィー、ソフィア、エミー ソフィー・ジェルマンは、短いけれども目をみはる系譜に連なっています。彼女の前には、4 世紀のアレクサンドリアのヒュパティアと、18 世紀にニュートンの『プリンキピア』をフランス語に訳したエミリー・デュ・シャトレ。彼女のあとには、1874 年に近代ヨーロッパで初めて数学の博士号を取った女性となったロシアのソフィア・コワレフスカヤと、20 世紀にガウスの大学ゲッティンゲンで研究したドイツのエミー・ネーターがいます。だれもが閉ざされた扉に向き合わなければなりませんでした。ソフィー・ジェルマンは、そのほとんどにひとりで向き合ったのです。 おぼえておきたいこと ソフィー・ジェルマンは 1776 年から 1831 年まで、パリで生きた。両親の反対を押し切り、独学で数学を学んだ。 ラグランジュ(1794 年)とガウス(1804 年から)への手紙に、ムッシュー・ルブランと署名した。 合同式 $a\equiv b\pmod m$ は、$a$ と $b$ を $m$ でわった余りが等しいことを表す。 $p$ と $2p+1$ が素数なら、フェルマーの第一の場合で、方程式 $x^p+y^p=z^p$ は解をもたない。 $2p+1$ も素数になる素数 $p$ は彼女の名で呼ばれる。100 未満に十個ある。 $a^4+4b^4$ はいつも二つの因数の積に分解できる。 1816 年、振動板の理論でアカデミーの賞を受けた。その方程式には 4 階の導関数がある。 曲面の平均曲率は、主曲率の平均 $H=\frac{\kappa_1+\kappa_2}{2}$ である。 練習問題:ソフィーは 1776 年に生まれた。この数は最少でいくつの平方数の和か?$1776=16\cdot111$、$111=8\cdot13+7$ なので、$1776=4^2\,(8\cdot13+7)$ はルジャンドルの形 $4^a(8b+7)$ をしていて、三つの平方数の和ではありません。ラグランジュの定理により四つの平方数の和で、たとえば $1776=40^2+12^2+4^2+4^2=1600+144+16+16$ です。